井口健二のOn the Production
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2005年06月14日(火) ナニワ金融道、七人の弔、メゾン・ド・ヒミコ、輝ける青春、世界、マイ・ファーザー

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ナニワ金融道』                   
青木雄二原作からの漫画の映画化。主人公が街金と呼ばれる
違法ぎりぎりの金融道に入って行く過程が描かれる。   
杉浦太陽扮する主人公の灰原達之は、勤めていた会社が、社
長が街金に手を出したために倒産し、大阪に流れてくる。そ
こでふと知り合った男(生瀬勝久)から街金の就職口を紹介
され、上の経緯から最初は躊躇したものの、ガールフレンド
(鈴木紗理奈)も紹介されて仮採用として働き始める。
そして、社長(津川雅彦)や先輩(杉本哲太)の仕事振りを
見ながら、一から金融道を身に付けて行く。さらに、ライヴ
ァル(豊原功補)の出現によって、一世一代の大勝負を受け
て立つことになるが…          
何しろ主人公が素人からスタートする展開なので、観客にも
分かり易くいろいろな裏金融の手口が紹介される。また、そ
れに絡んで詐欺の手口なども紹介され、話には聞いたことが
あっても映像で紹介されると、結構納得できて勉強になった
感じだ。                       
その辺がマニュアル的に整理されていて、分かり易いのも本
作の特徴と言えそうだ。この辺は、昔の伊丹十三映画に通ず
るところもある。                   
脚本、監督は茅根隆史。本作が劇映画第1作の監督は、元々
がドキュメンタリーの出身だそうで、その経験から物事を分
かり易く整理するのは習い性というところもあるのかも知れ
ないが、独り善がりに陥っていないのはさすがという感じも
した。                        
また、人間関係をべたべたと持ち込まないのも良い感じで、
まあ、逆にその辺が完成後2年間もお倉入りしていた原因な
のかも知れないのだが、こういうクールな作品が好きな僕に
は好ましかった。                   
と言っても、日本の観客は泣きが入らないとなかなか見に来
てはくれない訳で、監督にはその辺を第2作までに研究して
もらいたいというところか…。ただしこの監督は、泣きで撮
らせればちゃんとやれる実力はありそうで、僕としては本編
のクールさは保ってもらいたいし、これはかなり難しい注文
になりそうかな?                   
                           
『七人の弔』                     
タケシ軍団のタレントで構成作家でもあるダンカンの初監督
作品。元々が構成作家を目指して弟子入りした人と聞いてい
たので、とっくに監督デビューも果たしているものと思って
いたが、本作が第1作ということで、まさに満を持しての作
品のようだ。                     
山間地のキャンプ場に向かう7組の親子(7人の子供と9人
の親)。一見普通の親子キャンプのように見えるが、だんだ
んそれが尋常でない状況を孕んでいることが説明される。集
まっている親子は、いずれも過去に親による児童虐待が問題
になった家族なのだ。                 
では何故、そのような家族が親子キャンプに集まっているか
というと…監督自身が演じるキャンプ場の案内人によって、
その背景が徐々に明らかにされて行く。         
大括りではこんな話だが、この案内人の悪魔の手先のような
描き方が映画全体を引き締めて、一種のファンタシーのよう
な雰囲気に仕上がっていた。              
児童虐待のニュースが毎日のように報道される今日では、こ
のようなことが行われていても何ら不思議はない。そんなこ
とを思わせる作品。脚本も手掛けたダンカンの着眼点は良い
と思う。しかも、それがかなりブラックに展開して行くとこ
ろはまさに期待通りの作品だった。           
結末は予想通りと言うか、まさにこれしかないのだが、この
場合に一番肝心なのは、この結末に持って行く過程の描き方
だろう。その点でこの脚本は見事にそれを解決している。こ
の脚本のうまさも気に入ったところだ。         
各人の思いや思惑が交錯して、それでもこれしかない結末と
いうのが切なくもあり、これが、この映画の結末だけでは終
らない拡がりのようなものも感じさせてくれた。     
子供たちの初々しい演技に対して、大人たちの泥くさい演技
も演出の方針だろうが、そのコントラストの付け方も良かっ
た。また、その間に入ったダンカンの無表情な演技も壺に填
っているし、最後のほっとしたような表情が、監督(脚本家)
本人の姿勢を表わしている感じもしてよかった。     
                           
『メゾン・ド・ヒミコ』                 
『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督と脚本家の渡辺あや
が再び組んだ作品。                  
と言っても、実は当初は大島弓子原作『つるばらつるばら』
の映画化が計画されていたが、製作費の高騰により挫折。そ
の替りに進められた企画だったが、さらに後にスタートした
『ジョゼ』が先行したのだそうで、本当はそれより先に練ら
れていたものだそうだ。                
ということで、本作は大島作品の流れを引き継いでのゲイの
物語ということになる。                
母子家庭に育ち、母親が死んでからは一人で生きてきた女性
のところに、若い男性が現れる。彼は彼女の父親の愛人だと
名乗り、死の床にいる父親に逢いに来るように要請する。し
かし幼い頃に母と自分を捨て、ゲイとなった父親を彼女は許
すことができない。                  
とは言え、結局彼女はその男性に説得され、父親が設立した
メゾン・ド・ヒミコと名付けられたゲイ専門の老人ホームで
日曜日だけの賄いのアルバイトをすることになる。そして、
父親との再会も果たすのだが…             
その老人ホームには、老いて行き場の無いゲイたちが、行く
末の不安を抱えながら寄り添うように暮らしていた。そして
そのホームで、ゲイ特有の、あるいは一般にも通じるいろい
ろな事件が起って行く。                
以前にも書いたと思うけれど、僕はゲイを描いた映画が基本
的に好きではない。別段、同性愛者を差別するつもりはない
し、その行為をとやかく言うつもりはないが、特に映画の場
合は、そうでない人が演技でしている感じが、嫌悪感につな
がっているような気もする。              
僕の基本姿勢はそういうことであるが、しかしこの映画に関
しては、そういうことを超越して、見ていて感動させられる
作品に仕上がっていた。ある意味『ジョゼ』にも通じる、世
間から特別視されながらも懸命に生きている、そんな人々の
物語だ。                       
また本作では、観客の目として登場する柴咲コウ演じる主人
公の女性の描き方が、見事なメイクダウンでありながら嫌み
でなく、むしろ愛らしく描かれていて、その脚本、演出、メ
イク、演技の全ての面で素晴らしかった。        
その彼女の存在のおかげで、この物語に部外者でありながら
すんなりと入って行ける、そんな脚本が特に見事だ。オダギ
リジョー、田中泯らが共演。なおプロローグのナレーション
を筒井康隆が務めていて、戦後の銀座ネオン街を語っている
のも面白かった。                   
マイノリティに光を当てる犬童=渡辺のコンビの作品には、
今後も注目したい。                  
                           
『輝ける青春』“La meglio gioventu”         
1966年から2003年までのイタリア・ローマに暮らす一家の姿
を追った上映時間6時間5分の大作ドラマ。       
主人公は1948年生まれと49年生まれの兄弟。彼らの学生生活
から社会人となり、初老と言える年代に達するまでの37年間
が描かれる。                     
実際のところ、僕はもろに彼らと同じ年代な訳で、生活環境
にも通ずるところがあるし、また描かれる社会状況なども、
見覚え聞き覚えのあるものばかりで、それらを頷きながら見
ている内に、長丁場をだれることもなく見終えた。    
そこには、大学紛争やヒッピーたちによる自然回帰の行動、
また映画の中では「赤い旅団」によって代表される共産系テ
ロ活動、さらに水害や噴火などの自然災害。その一方で結婚
や離婚など、この時代に起きた様々の出来事が描かれる。 
それにしても、20世紀の前半は戦争に代表される国家レヴェ
ルでの激動の時代だったが、同じ世紀の後半が個人レヴェル
で如何に激動の時代であったのか、それが見事に描かれた作
品とも言える。                    
物語は、兄弟と彼らを挟んで姉、妹と両親の一家を中心に進
められるが、その妻や友人たち、また兄弟が関わる精神病患
者の女性や、さらに兄弟の子供たちの世代へと広がって、壮
大な時代絵巻が描き出されて行く。           
僕自身は、多分この中では兄の存在に一番近いかも知れない
が、ここに登場する人物たちの誰であってもおかしくない。
恐らくは、どこかで一歩違えれば誰か別の存在になったかも
知れない、そんな気持ちにもなった。それくらいに全てが近
しい感じの作品だった。                
21世紀になって4年が経ち、いよいよ20世紀後半を見直す機
会が増えてきそうだが、その一助とするには格好の作品と言
えそうだ。                      
また映画では、ローマ、トリノ、フィレンツェ、ミラノ、パ
レルモ、そしてストロンボリ島などの、イタリア中の風景が
次々に登場し、それらが全て現地ロケで写されているのも、
美しく素晴らしかった。                
                           
『世界』“世界”                   
『青の稲妻』などのジャ・ジャンクー監督による2004年ヴェ
ネチア国際映画祭出品作品。              
監督の2002年の前作はどうも僕にはピンと来ない作品で、評
価もできなかったものだが、本作を見ると、なるほど各国の
映画祭がこぞって出品を求める監督という感じがした。  
舞台は、北京郊外のテーマパーク「世界公園」。世界40カ国
の109カ所の著名な建築物が10分の1縮尺のレプリカで見学
できるこの公園には、園内を巡回するスカイウェイが設けら
れ、中央にはシンボルでもある3分の1縮尺のエッフェル塔
がそびえ立っている。                 
主人公は、この公園のホールで毎日上演されるアトラクショ
ンに出演する女性ダンサー。故郷を離れ、憧れの北京にやっ
てきたが、ショウダンサーの生活は楽ではない。そして、入
れ替わりの激しいダンサーの中では、今や姐さんと慕われる
存在になっている。                  
そんな彼女を中心に、「世界」という名の舞台で働いていな
がら、本物の世界には出て行くこともできない。夢を描きな
がらも、その夢を実現できない若者たちの、ほろ苦い現実が
描かれて行く。                    
もちろん、毛沢東の巨大な肖像画が飾られ、互いを同士と呼
びあう国と、自分の住む国との違いは大きい。しかしそこに
描かれる若者の夢や希望や悩みは、全てが万国共通ではない
にしても通じ合うところは沢山ある。そんな共感を覚える作
品だった。                      
2008年のオリンピック開催を目指して次々に変貌して行く北
京。しかし、その変貌を目の当りにしていても、1歩踏み出
すことをためらう若者たち。そんな切なさが手に取るように
感じられた。こんな青春、今の日本にもあるのだろうか。 
なお、映画の舞台は北京に実在する「世界公園」だが、実際
の撮影は深センにあるさらに大規模な「世界之窓」で行われ
ている。日本にも鬼怒川などに同様の施設があり、僕も見に
行ったことがあるが、そのスケールの差はさすが中国という
感じだった。                     
因みに、本作が監督と3度目のコラボレーションとなった主
演のチャオ・タオは、「世界之窓」でショウダンサーをして
いたことがあるそうだ。                
                           
『マイ・ファーザー』“My Father-Rua Alguem 5555”   
1985年、ブラジル・マナウスの墓地に白骨遺体で発見された
ナチス戦犯ヨゼフ・メンゲレと、彼の息子ヘルマンの姿を描
いたドラマ。息子役に『戦場のピアニスト』でドイツ将校を
演じたトーマス・クレッチマンが扮し、父をチャールトン・
ヘストンが演じる。                  
1976年、メンゲレの息子ヘルマンは、ある手引きによってブ
ラジルを訪れる。その目的は戦犯でありながら逃亡を続ける
父親と会い、自分の考えを父親に告げることだったが…  
1960年代後半の西ドイツ学生運動のリーダー格としても知ら
れたピーター・シュナイダーが、1987年に発表した実話に基
づく小説“Vati”(父)を、イタリア人でドキュメンタリー
出身の監督エジディオ・エローニコが12年の歳月を掛けて映
画化した。                      
ヘストンは、オスカー俳優でありながら1968年『猿の惑星』
に始まって、『ソイレントグリーン』『オメガマン』とSF
映画を連発し、自分の好きなSF映画の隆盛に寄与してくれ
た俳優として感謝している。              
しかし、マイクル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロン
バイン』で描かれたように全米ライフル協会々長として反動
的な言動を繰り返し、さらにムーアの直撃インタヴューの有
り様では幻滅を感じざるを得なかった。         
そのヘストンがメンゲレを演じるというのは、一体どんな心
境なのかは計り知れないが、確かに堂々と持論を述べ続ける
メンゲレの姿には、周囲を圧倒する強さがあり、その意味で
このキャスティングは見事と言える。          
そして、その強さがそれに立ち向かうこともできなかった息
子の弱さをさらけだし、それは観客の僕らにも刃を突きつけ
る。今、A級戦犯を祀る神社に毎年参拝する首相の姿を見る
とき、自分らもこの息子と同じなのではないか、そんなこと
を思わされた。                    
先日『ヒトラー』の映画を見たばかりで、今度はメンゲレ。
時代を検証する気運の中での作品とも言えるが、先日の作品
が何か反動的な雰囲気を醸していたのに対して、本作は率直
に過去の罪を告発しているように感じられる。      
ただし本作の製作は、イタリア・ブラジル・ハンガリー合作
で、ドイツは入っていない。敢えて言えば、『ヒトラー』は
ドイツの映画会社の製作だった。そんなドイツと日本が今、
国連で常任理事国入りを目指している。これはまさに茶番と
言えそうだ。                     


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