井口健二のOn the Production
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2005年04月14日(木) ミリオンダラー・ベイビー、バス174、皇帝ペンギン、マイ・リトル・ブライド、初恋のアルバム、ザ・リング2、Little Birds

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ミリオンダラー・ベイビー』“Million Dollar Baby”  
クリント・イーストウッド監督主演で、今年のアカデミー賞
では、作品、監督、主演女優(ヒラリー・スワンク)、助演
男優賞(モーガン・フリーマン)を獲得した作品。    
ただ一人の肉親の娘に会うことを拒否されている初老のボク
シング・トレーナーと、30歳を過ぎて家族とは別れ、ボクシ
ングだけを生き甲斐として暮らしている女性の物語。   
最初は女性のボクサーを否定していた主人公は、彼女のボク
シングにかけるひたむきな情熱に、やがて彼女のトレーナー
となり、ついには世界チャンプを目指すまでになるが…  
以下はネタばれを含みます。              
上記の概要で、単純に『ロッキー』の女性版を頭に描いて見
に行くと、これが大間違い。イーストウッドの監督で、オス
カーも獲るような作品だから、いまさらそんな単純な作品で
はなかろうと思ってはいたが、こういう話が展開されるとは
思わなかった。                    
しかもこの展開が、アメリカでは昨年末に公開されているの
に、見事に報道管制されている。このことからは、この展開
に対するアメリカ人の思いがいろいろ意味で混乱しているこ
とも感じ取れる。                   
僕自身の信条から言うと、この作品の結末は容認できない。
ましてや昨年、現実の同じような出来事が違う形での結末を
迎えたところで、この2つを重ね合わせると、僕自身として
はやりきれない気持ちが残る。             
しかも本来なら、この作品が問題提起となっていろいろな論
争ができるはずなのに、アメリカでそれはなされたという話
もあまり聞かない。そこには、その論争を圧殺するような雰
囲気も感じてしまう。                 
もっとも、イーストウッドが問題提起のつもりでこの作品を
作ったとは考えられないし、現実の出来事が偶然重なっただ
けなのだとは思う。ただし、現実の出来事の方では、その後
に多少の動きも生じたようだが…       
(5月31日付で補足があります)

                       
『バス174』“Onibus 174”             
2000年6月にリオデジャネイロで発生したバスジャック事件
を、当時のテレビ報道の映像と、後日の関係者へのインタヴ
ューでまとめたドキュメンタリー作品。いわゆる再現映像は
用いず、全てが実際の映像で綴られている。       
ストリート・チルドレンだった男が、バス強盗を試みて失敗
し、そのまま乗客を人質にとって立てこもる。そのバスを警
官隊が取り囲むが、報道陣の集結も速く、警備区域の設定の
遅れもあって、テレビカメラが至近距離に置かれることにな
ってしまう。                     
このため、衆人監視のもとでは警官隊もうかつには射殺など
の手を打てなくなり、事件は膠着状態になってしまうが…こ
の事件を、人質だった女性や覆面の特殊部隊の警官、さらに
犯人の叔母や昔の仲間、児童保護局の担当者らの証言などを
交えて検証して行く。                 
犯人は、ストリートチルドレン多数が警官隊によって虐殺さ
れた事件の生き残りであり、警察への恨みがあったとする証
言や、逮捕され刑務所に入れられることによってますます悪
くなるという現実が、刑務所の劣悪な実体の紹介などによっ
て明らかにされる。                  
ということで、この作品はバスジャック事件だけでなく、そ
の背後にある社会問題を炙り出して行く構成になっている。
ただし作品の構成では、バスジャック事件の報道映像と人質
だった女性の証言に多くが割かれており、その衝撃的な結末
に向かっての緊張感あふれる作品になっている。
それは良いのだが、正直な感想を言うと、主張がいまいち不
明瞭な感じの作品にもなってしまっている。    
つまり犯人の実像を追って行く内に、話はどんどん社会問題
の告発に偏って行くのだが、それがバスジャック事件に揺り
戻されて終ることで、せっかく炙り出した社会問題の告発が
中途半端に終ってしまったようにも感じられるのだ。   
刑務所の劣悪な実体などは、それだけで別のドキュメンタリ
ーにしても良いくらいなものだが、それをあえて短く織り込
んで描いたために、逆に舌足らずに感じられてしまう。  
実はこの文章を書こうとしたときに、ブラジルの悪徳警官が
市民数10人を虐殺したというニュースが伝えられた。実際に
ブラジルの一般警官のほとんどは、このような悪徳警官なの
だそうで、それはこの映画で描かれた通りのものだったよう
だ。                         
しかし映画では、その告発も中途半端に感じられた。特にこ
の問題は、犯人の実像に密接に絡むものでもあり、できれば
この問題はもっと克明に描いて欲しかったところだ。   
製作を進める内に内容が膨らんでしまったのかも知れない。
しかし、いろいろな要素を詰め込みすぎた感じも持つ。しか
もそれぞれが重要な問題であるだけに、余計に勿体無い感じ
がするものだ。ただし、こういった事実を知る上で貴重な作
品であることは確かだ。                
                           
『皇帝ペンギン』“La Marche de L'Empereur”      
南極の厳冬下で行われる皇帝ペンギンたちの産卵と抱卵、そ
して子育ての姿を、1年以上の撮影期間で追ったドキュメン
タリー作品。気温氷点下40℃、時速250kmのブリザード、そ
んな厳しい条件の下で、子孫を残すための壮絶な闘いが繰り
広げられる。                     
映画は、食料豊富な海を出て営巣地へ向かう旅から始まる。
雪原を列を作ってよちよちと歩く姿や、腹ばいでの滑走は愛
らしいものだが、それは取り残されれば死と直面する過酷な
旅。しかし本当の試練はここからだ。          
結局、地上での行動力の弱さで、ペンギンたちは外敵から身
を守る術として厳冬下での産卵を強いられている。だが、厳
寒の環境の下では、卵を外気に曝すことは死を意味する。こ
のため卵は常に親鳥の足の甲に乗せていなければならない。
産卵された卵は、最初は雌の足の甲で抱卵される。しかし産
卵で体力を消耗した雌は直ちに捕食のため海へと向わなくて
はならない。そこで雌から雄へ卵の受け渡しが行われるが、
これに失敗すると卵は直ちに凍結死してしまう。  
さらに卵を受け取った雄は、その後の雌が捕食から戻るまで
の約120日間を絶食、立ち続けで過ごさなければならない。
そこに容赦なく吹きつけるブリザード。防寒のためよちよち
歩きで集団を作ろうとする雄が卵を取り落としてしまうこと
もある。                       
一方、辿り着いた海で開放されたように泳ぎ、捕食する雌た
ち。しかしそこには、アザラシなどの敵も待ち構える。雌の
死は帰りを待つ家族の死をも意味する。         
そして立ち続けで待つ雄の足下では雛が孵り始める。だが孵
った雛はまだ地上に出ることはできない。厳しい自然は雛の
か弱い体力をあっという間に奪ってしまうのだ。雛鳥と雄は
餌を貯えた雌の帰りを待ち続ける。           
このように、次々に襲ってくる苦難の様子が、冷静なカメラ
ワークで捉えられて行く。               
1972年に公開された“Mr.Forbush and the Penguins”(二
人だけの白い雪)というイギリス映画がある。この作品は、
1980年の『復活の日』より10年近く前に、恐らくは南極で本
格的なロケーションが行われた最初の劇映画だと思われるも
のだが、この中で、多分同じ営巣地でのペンギンの子育てが
紹介されていた。                   
ただしこの劇映画では、営巣地に現れるペンギンの到着シー
ンや、孵った雛鳥が外敵に襲われるシーンなどは捉えられて
いたが、今回の作品のような厳冬下のシーンはさすがに無か
ったように記憶している。そんな訳で僕は、ある種の懐かし
さも感じながらこの作品を見たのだったが、今回はその尋常
でない現実の厳しさに、改めて驚かされたものだ。    
なお、今回の作品では、ペンギンの夫婦と子供という設定で
の擬人化されたナレーションが付く。通常このような擬人化
されたナレーションでは、物語を盛り上げようとするのか感
情的になるものが多いが、本作のそれは、淡々とした口調の
中で学術的な内容も捉えつつ、しかもドラマティックに語ら
れているもので見事だった。              
それから、試写会の当日にはかなり幼い観客も来ていたが、
字幕版の作品に騒ぐこともなく鑑賞していたということは、
映像の見事さの現れといえるだろう。また、僕の席の近くに
は、南極でペンギンを撮影したこともあるというカメラマン
の人が座っていたが、この人の上映後の満足そうな笑顔も印
象的だった。                     
                           
『マイ・リトル・ブライド』(韓国映画)        
家が隣同士で、幼い頃から兄妹のように育ってきた16歳の高
校生の少女と、24歳の留学帰りの美大生の男子が、祖父の命
令で結婚式を挙げさせられる。しかも大学生は教育実習で彼
女の高校が赴任先となる。事情を知っているのは祖父の友人
の校長のみ。                     
おやおやどこかで聞いたような設定だが、それで観ないのは
食わず嫌いと言うもので、実際本作では、韓国の実情も踏ま
えてうまくアレンジされた作品になっていた。 
それに本作では、主人公の少女が自分の立場を全く自覚して
いなくて、野球部エースの先輩に憧れてデートを重ねたり、
いろいろなトラブルを起こしてしまうという、かなり無理な
展開となるのだが、それも何となく自然に描かれているのは
見事だった。                     
また、それぞれの両親の思惑や夫である大学生の微妙な立場
なども巧みに描かれている。もちろん特殊なシチュエーショ
ンで通常有り得ない設定のコメディなのだが、よく描き込ま
れた脚本が嫌みの無い作品に仕上げているという感じだ。 
なお、主演のムン・グニョンは、『箪笥』の主人公の妹役な
どを経て本作で初主演だそうだが、まさに妹役がピッタリと
いう雰囲気で、本作1本で韓国では会員8万人のファンクラ
ブができたということだ。相手役はテレビ出身ですでに人気
者のキム・レウォン。                 
また、監督のキム・ホジュンも本作が初の作品だが、東京・
千代田芸術大学映画科卒業で、誰にでも楽しめるシンプルで
“無害”な映画作りを目指すという監督自身の考え方は、本
作で見事に実践されている。              
監督の目指す通り、毒にも薬にもならない作品だが、見てい
る間は楽しめるし、さらに俳優が気に入ればそれで十二分と
いう感じの作品だ。                  
                           
『初恋のアルバム』(韓国映画)            
いがみ合う両親の下で、いっそ孤児の方が良かったと思って
育ってきた少女が、ふとしたことで両親の巡り合いの地を訪
れ、そこで両親の育んだ愛の姿を目撃するという、ちょっと
ファンタスティックな物語。              
主人公は郵便局に勤め、研修でニュージーランドへ行くこと
が決っているが、その直前父親が家出してしまう。その父親
は過去に友人に騙され、母親がこつこつ貯めていたお金も奪
われたことがある。そんな父親を母親は詰り倒して来た。 
そんな父親が行方不明になり、彼女は両親が巡り会ったとい
う島を訪れる。そこには昔は母も働いていたという海女たち
がおり、母親の実家を訪ねた主人公は、自分そっくりの若き
日の母親に出会う。そしてその家で過ごすうち、若き日の父
親が現れる。                     
当時の母親は両親を失い、海女の仕事をしながら弟を都会の
学校に通わせていたが、本人は読み書きができなかった。し
かし弟には手紙を書かせ、その読めない手紙を届けるのが後
の父親である郵便配達員だったのだ。          
やがて父親は、母親が読み書きができないことに気づき、彼
女に小学校の教科書を与えて読み書きを教え始める。こうし
て愛が育まれて行ったが…               
一種のタイムトラヴェルものだが、タイムパラドックスのよ
うなSF的要素は排除して、純粋なラヴストーリーが展開し
て行く。それが多分韓国の人ならもっと強く感じられるのだ
ろうが、日本人にも通じるノスタルジックな雰囲気の中で見
事に語られる。                    
特に主演のチョン・ドヨンは、合成を用いた母娘2役を演じ
ているが、その2つの個性を演じ分けた演技は見事なもの。
また、その成長した母親を演じるコ・ドゥシムの演技も素晴
らしい。そしてこの2人1役も見事に演出されていた。  
なお、チョン・ドヨンは海女として海に潜るシーンも代役な
しで演じており、その海女たちの群舞のような海中シーンも
美しく、素晴らしいものだった。            
                           
『ザ・リング2』“The Ring Two”           
日本作品のリメイクでアメリカでも大ヒットした『ザ・リン
グ』の続編。日本版でも続編は作られたが、本作はアメリカ
で作られたオリジナル脚本に基づく。そしてその監督を、日
本版オリジナル及び続編の監督中田秀夫が担当した。   
物語の骨子は、貞子(サマラ)の呪いが再び活動を始め、そ
の呪いの根源を探るために、貞子(サマラ)の足跡を辿ると
いうもので、その点では共通している。しかし、日本版の続
編では前作の母子は脇役だったのに対して、本作ではその親
子が再び主演している。                
そこで、前作で母子を演じたナオミ・ワッツとデイヴィッド
・ドーフマンの再登場となるが、特にドーフマンの見事な恐
怖演技には感心した。ただし、設定は前作の6ヶ月後という
ことになっているが、明らかにもっと成長してしまっている
のはご愛嬌だろう。                  
そして本作では、この母子の再登場によって、母親が息子を
守るという前作から続くテーマがより鮮明になった点が、日
本版の続編との決定的な違いと言える。本当は日本版でもこ
れをやりたかったが、俳優の都合でできなかったのではない
か、そんな感じも持った。               
実際、中田監督がこの作品に再挑戦した理由も、そこにある
のではないかという感じだ。              
そして、さらにこの母親の存在を際立たせるのが、シシー・
スペイセクの登場だ。2度のオスカー受賞者でありながら、
『キャリー』の印象を拭えないスペイセクが、この恐怖映画
に堂々と登場する。その存在感だけでも見る価値のある作品
と言える。                      
なお中田監督は、上映後の記者会見で、ワッツとスペイセク
に挟まれてモニターを見ている時は、夢見心地だったと述懐
していた。                      
また監督は、記者会見の中で、本作ではショックシーンのつ
るべ打ちのような表現は避けたと証言していた。実際に映画
では、母子の情愛が恐怖に打ち勝って行く訳だが、観客にも
そのイメージは鮮明で、恐怖映画の雰囲気ではない感じもし
た。                         
しかし点描的に襲ってくる恐怖シーンはさすがに鮮烈で、恐
怖映画としても存分に楽しめる。この辺のバランス感覚の良
さが認められたのだろう。すでに次回作は、パン兄弟オリジ
ナルの“The Eye”のリメイクが、早ければこの夏にも製作
開始となるようだ。       
                           
『Little Birds』             
テレビ朝日系列のニュース番組などで、イラク戦争開戦前後
の現地レポートを担当していたフリージャーナリスト綿井健
陽が撮影した映像を元に編集されたイラク戦争の実体を描く
ドキュメンタリー。                  
開戦直前の意外と平静な市内の様子から、空爆、戦闘、そし
てその爆撃によって幼い兄弟を失った父親や、非人道的なク
ラスター爆弾によって片目に障害を負った少女、あるいは片
腕を失った少年などのエピソードが時系列で綴られる。  
また、人間の盾となった女性が進駐してきた米兵に抗議する
姿や、綿井自らが米兵に詰め寄る姿(フレーム外の音声だが)
なども写し出される。                 
このページの読者の人はお判りと思うが、僕は基本的に反戦
の立場を取る。従ってこの作品は自分の信条に近いものと言
える。しかし上記したような、作者自らが詰め寄る姿が写し
出されると、ドキュメンタリーとして正しいことか疑問を持
つ。                         
この手法は、最近のマイクル・ムーアの作品で認知された感
があるが、本来の報道ジャーナリストは、自らの信条はどう
であれ、写し出される中では冷静に中立を装って伝えるのが
正しい姿ではないだろうか。              
もちろん、中立を装って偏向した報道をされるのが最も危険
な訳で、それに比べればこの方が判り易くて結構という意見
もあるだろうが。この作品では作者自ら詰め寄る姿が、何か
幼稚に見えてしまった。                
実は上映後にトークイヴェントがあり、そこで米兵に詰め寄
るシーンは、最初に米兵側から話しかけてきて、その過程で
意地悪質問として発したものだということだ。そうであるな
ら、そこまでの流れを見せた方がより良いものになったよう
な気がする。                     
100時間以上の映像を2時間ほどにまとめることの苦労は理
解するが、この作品の造り方では、かえって主張が反感を買
ってしまうような、そんな危険も感じてしまった。    
なお、試写会ではプレス資料が貰えなかったので、上記は自
分の記憶だけで書いている。従って誤解などあるかも知れな
いが、その点のご了承をお願いします。         



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井口健二