| 2005年02月14日(月) |
クローサー、アナコンダ2、コントロール、シャル・ウィ・ダンス?、さよならさよならハリウッド、オオカミの誘惑 |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『クローサー』“Closer” 『卒業』などの名匠マイク・ニコルズ監督が、ジュリア・ロ バーツ、ジュード・ロウ、ナタリー・ポートマン、クライヴ ・オーエンを迎えて描いたパトリック・マーバー原作の舞台 劇の映画化。 ロンドンの街角で運命的に出会った4人の男女が、互いに愛 し合い、傷つけ合いながら相互の関係を作り、壊して行く姿 を描いたドラマ。すでにポートマンとオーエンはゴールデン ・グローブ賞の助演賞を受賞、アカデミー賞の候補にも挙げ られている。 新聞の死亡記事担当記者のダン(ロウ)は、街角で交通事故 を目撃し、その被害者のアリス(ポートマン)を病院につれ て行く。やがて小説家として作品を完成したダンは、その裏 表紙に載せる肖像写真を撮るためにアンナ(ロバーツ)のス タジオを訪れる。 一方、インターネットのチャットルームで女性を演じていた ダンはアンナと名乗り、相手の男ラリー(オーエン)を水族 館に誘い出すが、そこには写真家のアンナが訪れていた。こ うして4人の関係がスタートする。 この4人が、最初はダン+アリスとアンナ+ラリーの関係だ が、互いに別のカップルが生まれ、それぞれが男女の深い関 係を持ち、それを告白して傷つけ合う。 互いの間では普通に嘘もつくし、相手が別の相手と関係を結 ぶことも容認しているはずなのに、肝心の所で嘘がつけなく なって、真実を語ることで相手を傷つけてしまう。そんな微 妙なドラマが共感を呼ぶ物語というところだ。 以下ネタばれがありますのでご注意ください。 ただ、僕は仕事柄、事前にいろいろな情報を持って試写を見 ることになったのだが、原作の舞台と映画では構成に大きな 違いがある。その最たるものは、原作では登場人物たちがあ るきっかけで久しぶりに集まり、思い出話を語り合う設定に なっていることだ。 このため物語は、全く脈絡もなく時間が飛ぶし、同じシーン が別の角度から繰り返されたりもする。この構成が目新しく 面白いのだが、映画ではこの設定と言うかプロローグを大胆 にもカットしているために、最初はちょっと戸惑う感じにも なってしまった。 と言っても本作では、原作者が映画化の台本も執筆している のだから、観客としてはこの設定変更を認めるしかないのだ が、これによって、最後のシーンの重要な示唆が見逃されて しまう恐れがあるようにも感じた。 それはともかくとして、ポートマンのかなり際どい描写も含 めた体当たりの演技は、素晴らしいの一言。これなら以前に アミダラへのオファーに悩んだという話も理解できる。上記 の受賞も頷けるし、このままオスカーも獲得するのではない かという予感も生じた。 『アナコンダ2』 “Anacondas: The Hunt for the Blood Orchid” 1997年に、ジェニファー・ロペスをブレイクさせた『アナコ ンダ』の続編。と言っても、出演者も舞台も全く異なる作品 で、全く新しい設定の物語が展開される。 新薬開発で鎬を削る医薬品業界。その一つの研究開発会社に ある蘭の花が持ち込まれる。その花からは動物の細胞の再生 能力を活性化し、寿命を大幅に伸ばす成分が抽出される。し かし、その研究開発を完成させるためにはさらに多くの花が 必要とされた。 ところが、その蘭の花が咲くのは7年に一度。しかも今回の 花が咲いている期間は、残り2週間。このため急遽、蘭の咲 くボルネオ島に研究者が向かうことになったが…現地は雨季 に入り、蘭の咲く上流に向かう川には濁流と世界最大のアナ コンダが待ち受けていた。 出演者には、今まで主に脇役を務めていた顔ぶれが集まり、 人気スターはいなくても手堅い演技を見せる。そして彼らを まとめる監督は、『ホワイトハウスの陰謀』や『X−ファイ ル』なども手掛けるドゥワイト・リトルで、これも手堅い。 つまりこういう手堅さが、映画全体の雰囲気をしっかりと保 たせるし、二番煎じの作品とは言っても、不足のない作品を 作り上げている。確かに俳優に華やかさが欠ける部分はある が、逆にワニから蜘蛛からアナコンダまで、次々繰り出して くる手際の良さは、まさにエンターテインメントと言う感じ の作品だ。 衛星回線の電話が圏外になるというような、おやおやという 描写はあるけれど、全体的には悪くない感じだった。なおジ ャングルシーンの撮影は、フィジー島で行われている。 『コントロール』“Control” 『ハンニバル』のレイ・リオッタと、『スパイダーマン』の ウィレム・デフォー。2人のハリウッドを代表する怪優が共 演した心理サスペンス。他に、『S.W.A.T.』のミシ ェル・ロドリゲス、『クライング・ゲーム』のスティーヴ・ レイらが共演。 凶悪犯罪者の凶暴さを鎮め、善人に復帰させる新薬が開発さ れ、死刑となったはずの殺人犯に投与される。そして法律上 は死者である男には薬の効果が存分に現れ、ついに一般社会 に出られるまでになるが… ところが男は監視の目をくぐって奇妙な行動を取り始める。 果たして新薬は効果を挙げているのか、それとも全ては男の 演技なのか、被験者と新薬を開発した研究者との心理戦が始 まる。 アメリカが舞台の作品ではあるのだけれど、実は撮影はブル ガリアで行われていて、製作会社の最後にはGmbHと付いてい る。と言うことで、いろいろ怪しげな作品なのだが、何と言 うか見ていて気持ちの良い、素敵と言うのも変だがそんな感 じの作品だった。 別段、リオッタとデフォーの演技が良いとも思えないし、特 にリオッタの大袈裟な表情、演技には、この人を持ち上げる 連中の気が知れないとも思うのだが…でも今回は、元々が夢 物語のようなお話の中で、それなりにはまっていたようにも 感じた。 それよりも、有りがちとは言えここに提示される物語の展開 のうまさと言うか、脚本家の心の中に有る心情への共感みた いなものが、僕には心地よかったとも言える。特に、何度か 描写される回想シーンの最後の最後の場面に心を引かれた。 脚本は、『ヤング・スーパーマン』なども手掛けているトッ ド・スラヴキン、ダーレン・スイマー。この名前は記憶に留 めて置きたい。 『シャル・ウィ・ダンス?』“Shall We Dance” 1996年の日本アカデミー賞で、全13部門を総嘗めにした周防 正行監督作品のハリウッド版リメイク。 日本版では、役所広司、草刈民代、原日出子、竹中直人、渡 辺えり子という面々が演じた役を、リチャード・ギア、ジェ ニファー・ロペス、スーザン・サランドン、スタンリー・ト ゥッチ、リサ・アン・ウォルターらが演じる。 『ザ・リング』の時もそうだったが、この作品も、主人公の 設定などはアメリカ的に直されているものの、主なエピソー ドなどは、ほとんどが日本版をそのまま再現している。 確かに、怪獣だけを借りて作った『Godzilla』など とは違って、物語そのものがリメイクの対象だから、当然と 言えば当然ではあるが、ここまで日本版を尊重して忠実に作 られると、日本人としてはちょっとうれしくなるところだ。 日本版で徳井優が演じたような日本でしか通用しないキャラ クターは、他のキャラクターに置き換えられてはいるが、展 開上で目立った違いと言ったら、これくらいしか思いつかな かった。特に日本版の渡辺のキャラクターは、口調まで似せ ているようにも思えた。 物語は、日々の仕事に追われ、夢を持てなくなった中年の男 が、ふと目に留めたダンス教室に立ち寄ったことから生き甲 斐を見いだす。しかし、そこには後ろめたさもあり、またそ れを秘密にしたことから家庭内に波風が立ち始める。 先にも書いたように物語は日本版の通りだし、それ以上でも 以下でもないが、さすがダンスシーンなどは、元々基礎の入 った人たちが演じるから、日本版以上に見応えのあるシーン に仕上がっていた。ただそれが良いかと言われると、ちょっ と悩むところだ。 ただしロペスに関しては、ちょっと草刈を意識し過ぎたので はないかという感じで、印象が薄い。もっとも、草刈は元々 がバレーダンサーで、社交ダンスの先生と言うのはちょっと 辛かったが、その点、ロペスのダンスシーンは見事に演出さ れていたように見えた。 なお、原題には「?」が付いておらず、疑問形なのに変に感 じたが、実は1937年製作で、フレッド・アステア、ジンジャ ー・ロジャース主演の同名の作品があり、その時も「?」は 付されていなかったようだ。因みに、劇中ではアステアのダ ンスシーンがショウウィンドウのテレビに映されていた。 またエンドクレジットでは、楽曲‘Shall We Dance’の歌わ れるミュージカル『王様と私』の作者、ロジャース&ハマー スタインにも特別の謝辞が掲げられていた。 『さよならさよならハリウッド』“Hollywood Ending” 2002年カンヌ映画祭のオープニングを飾ったウッディ・アレ ン脚本、監督、主演の作品。 今でも、アメリカでは毎年1作ずつの新作を発表しているア レンだが、日本での公開は、2001年の『スコルピオンの恋ま じない』以来、3年ぶりとなる。 僕は、アレンの作品を脚本も手掛けた1965年の映画デビュー 作『何かいいことないか小猫チャン』の時から見ている。 その後、72年の『ボギー!俺も男だ』で日本でも知られるよ うになるが、この時はすでに公開されていた69年の監督デビ ュー作『泥棒野郎』を探して、場末の3番館まで見に行った こともある。そして73年の『スリーパー』は試写で見て、記 事も書いたものだ。 しかし、77年にアカデミー賞を受賞した『アニー・ホール』 以後は、都会派コメディなどという宣伝文句が性に合わず、 83年の『カメレオンマン』、85年の『カイロの紫のバラ』、 87年の『ラジオデイズ』などのファンタシー系の作品を除い ては、あまり見なくなっていた。 つまり僕は、アレンを、元々ちょっと泥くさいコメディアン として認知していたし、その意味で都会派コメディなどと言 うものに食指が動かなかったものだ。 それが再び彼の作品を見だしたのは、2000年の『おいしい生 活』からになる。この作品をなぜ見ようと思ったのかは記憶 にないが、強盗を計画しながらクッキー屋になってしまうこ の作品のどたばたぶりに、久しぶりに嬉しくなったものだ。 そして01年の『スコルピオン…』でも同様のどたばたぶりに ほっとし、続く本作を待望していた。 本作は2002年に全米公開されたもので、製作は2001年の秋、 9月11日の前後に行われていたものと思われる。ニューヨー ク派のアレンにとってその痛みは、02年のアカデミー賞受賞 式にニューヨークを代表して初めて出席したことでも判る通 りだろう。 しかしこの作品には、そのような影は落ちてはいない。いや もしかすると、本当は予定されていたロケーション撮影など がセットに替えられた可能性はあるが、物語の展開では、そ れは現れてはいない。ただ、ニューヨークという言葉がいつ も以上に多く聞かれたように思えたのは気のせいだろうか。 物語は、ニューヨークを題材にした大作映画の企画がハリウ ッドの映画会社で進められるところから始まる。企画会議で その題材にベストな監督の名が挙がるのだが、オスカー2度 受賞の経歴を持つ彼は、その天才ぶりが禍してハリウッドか らは敬遠されていた。 しかも企画している映画会社には、監督の元妻がその社長の 許に走ったという曰くもある。だが、彼を最も押しているの もその元妻だった。そして企画はどうにか通り、当初は渋っ ていた監督も自分にしかできない企画と悟って、映画製作が 開始されるのだが… 実はこの後、クランクインを控えて飛んでもない事態が発生 し、その事態を隠すために撮影現場は大混乱(?)となって しまう。 そしてこの物語の合間に、アレンのハリウッド批判とも取れ る皮肉たっぷりの台詞や映画会社トップの生活ぶりなどが描 かれ、最後には、これがカンヌで上映されたときの会場の様 子を覗きたくなるような見事なHollywood Endingが用意され ている。 本作の撮影監督はドイツ人だそうだが、このEndingには、F ・W・ムルナウ監督の1924年作品『最後の人』を思い出させ た。また今回、劇場用の宣伝チラシには、爆笑問題大田光の コメントが載っているが、この作品にこの人選はピッタリと いう感じで、実にそういう感じの作品なのだ。今後もアレン には、この感じで行ってほしいものだ。 『オオカミの誘惑』(韓国映画) 2001年に当時16歳の少女がインターネットで発表し、韓国で 大評判になったという原作の映画化。モデル出身で、韓国で は四天王を凌ぐと言われる、いずれも1981年生まれのチョ・ ハンソン、カン・ドンウォン共演の青春映画。 大都会ソウル。そこに、見るからに田舎出身の純朴そうな少 女が、大きな鞄を持って降り立つ。彼女は父親を亡くし、離 婚した母親を頼ってソウルにやってきたのだ。しかし地下街 で迷ってうろうろする内に、高校生同士の抗争の場に巻き込 まれてしまう。 そこをなんとか脱出した彼女は、母親の家にたどり着き、母 親の再婚相手の連れ子で活発な都会っ子の1歳違いの妹や、 幼い弟に出迎えられる。そして妹と同じソウルの高校で、新 たな学園生活が始まるが… 町で再び抗争騒ぎに巻き込まれた彼女は、他校のリーダー格 の男子生徒と出会い、そこで出身地を答えた彼女は、何故か その男子生徒からお姉さんと呼ばれるようになる。一方、彼 女は、自分の通う学校のリーダー格の男子からも慕われるよ うになり… 抗争する2校のリーダーから同時に慕われるという、まあ、 16歳の少女が書いた夢物語という作品。話がうまく行き過ぎ るところは多々あるが、それなりの出来事も次々起こるし、 厭味なところもなく、正直、見ている間は充分に楽しめた。 いわゆるイケメンの2人の主人公役も、映画出演は1作目、 2作目という新人だが、これを『火山高』などのベテラン、 1960年生まれのキム・テギュン監督がよくまとめている。監 督は脚本も手掛けているようだが、若さ溢れる作品をまとめ 上げた手腕は見事なものだ。それに、こちらも新人の少女役 イ・チョンアもよく頑張っていた。 日本でも若年女流作家が持て囃されて、昨年はその映画化を 1本見たが、日本の作品が何か物欲的で見ていて感情移入で きるところがなく、乗れなかったのに対して、この韓国映画 には、見ていて懐かしさと言うか、心に響くものを感じた。 韓国映画に対しては、一時代前の日本映画の再現という言い 方がされ、確かにその一面もあるのだが、この作品に限って は、単なる過去の映画の再現ではなく、現代の作品の中に、 日本映画が置き忘れてしまったものが見事に描かれている、 そんなようにも感じられた。 日本公開は3月19日からになるようだ。
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