井口健二のOn the Production
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2003年05月16日(金) 名もなきアフリカの、さよならクロ、アンダーサスピション、ブルーエンカウンター、二重スパイ、アダプテーション、永遠のマリア・カラス

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介します。       ※
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『名もなきアフリカの地で』“Nirgendwo in Afrika”   
ナチスの迫害を逃れてケニアに移住した一家を描いて、今年
のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したドイツ映画。   
ドイツで暮らすユダヤ人一家。弁護士の夫は先にケニヤへと
脱出し、農場で働きながら妻と娘を呼び寄せる算段をしてい
る。しかし女子供の出国のためには、全財産をナチスに提出
することが条件であり、それすらも難しくなりつつある。 
ドイツでの裕福な暮らしの中、ナチスの脅威を一過性のもの
と信じたい人々は、危険を感じながらも優雅な生活を続けて
いる。そして妻と娘は、ようやくケニヤへの移住を決心する
が、出国できたのは2人だけだった。          
見知らぬ土地ケニヤでの生活の始まり、しかも無一文の雇わ
れ農場主の夫は不甲斐なく、生活は貧窮のどん底となる。し
かし幼い娘は、現地人の料理人との親交から、一早く現地の
生活になれて行く。一方、環境の変化に適応できない母親。
そして戦争の勃発。ケニヤに駐留する英国軍は、逃れてきた
ユダヤ人を敵性人として収容所に集める。しかし、収容施設
としてホテルを充てがわれた母と娘にとって、それは優雅な
生活の再来になる。そしてそんな中で母親の意識が変わり始
める。                        
ユダヤ人が敵性人でないことを訴える運動。続いて夫を開放
する行動。ついに一家は開放され、新たな農場で働くことに
なる。農場の一切を取り仕切るようになる妻、やがて夫は英
国軍に参加し、妻である母親は、逞しく変貌して行く。  
終戦。軍曹になっていた夫には、ハンブルグ裁判所の判事の
職への採用が決まる。国家の再建のため帰国を希望する夫。
しかし妻子には、この名もなき地を離れがたく思う気持ちが
育っていた。                     
実にエピックと呼べる作品だ。物語はこれに娘の成長が絡ま
り、一家の成長が見事に描かれる。物語はユダヤ人迫害の歴
史から描かれ、それがアカデミー賞受賞にもつながったもの
と思われるが、基調となっているのは家族の成長の物語であ
り、普遍的なものだ。                 
その中で、上の概要には書かなかったが、特に娘の成長が見
事に描かれるのと、母親の変貌の仕方が見事に納得できるよ
うに描かれている。この辺りがドラマとしても見事な作品だ
った。アカデミー賞受賞も頷ける。           
                           
『さよなら、クロ』                  
昭和36年から47年まで、長野県の進学校松本深志高校に住み
着いた犬「クロ」を巡る実話にインスパイアされた青春ドラ
マ。                         
この手の実話に基づく物語を日本映画が作ると、たいていは
エピソードの羅列になってしまったり、大げさなお涙頂戴の
物語になってしまって辟易することが多い。しかしこの作品
は、クロの生涯を主軸に据えてはいるが、そこに巧みに青春
ドラマを展開している。                
1960年代のある日、体育祭の仮装行列に西郷隆盛像のツンの
役で登場したその犬は、学校中のアイドルとなり、クロと名
付けられて、いつしか校内に住み着くようになる。    
一方、そのクロに最初に餌を与えた亮介は高校3年生、東大
を目指す親友の孝二と共に、同級生の雪子に恋心を持っては
いるが、積極的な孝二には一歩先を越されている。しかし孝
二が雪子に告白した日、孝二はバイク事故で帰らぬ人となっ
てしまう。                      
それから10年後、駆け出しの獣医となった亮介は友人の結婚
式に出席するため故郷に帰ってくる。その受付には、一度結
婚し離婚した雪子の姿があった。            
そして母校を訪れた亮介は、クロが手術の必要な病気である
ことに気付く。そのことを伝え聞いた生徒たちは自主的に募
金を集め、亮介の執刀で手術が行われることになるが、その
時、病院を訪れた雪子の口から亮介に10年前の出来事が伝え
られる。                       
脚本家でもある監督が言うところの全くベタな青春ドラマが
展開する。しかしそこにクロの実話が上手く融合して、結構
さわやかな、嫌みでない青春ドラマに仕上がっている。逆に
言えばクロを主軸に据えることで、今の時代にこの青春ドラ
マを実現してみせた監督の作戦勝ちと言うところだろう。 
3人が見に行く映画が『卒業』だったり、10年後に掛かって
いる映画が『ロッキー』だったりと、映画ファン向けの仕込
もあって、何となく良い感じの作品だった。       
                           
『アンダー・サスピション』“Under Suspicion”     
ジョン・ウエインライトの“Brainwash”という小説が、81
年に“Grade Avue”というフランス映画(邦題・レイプ殺人
事件)になり、それをさらにアメリカでリメイクした2000年
製作の作品。                     
主演のモーガン・フリーマンとジーン・ハックマンは製作総
指揮も兼ねており、恐らくはこの2人がフランス映画に目を
止めてリメイクを進めたというところだろう。共演はモニカ
・ベルッチと、『ドリームキャッチャー』にも出ているトー
マス・ジェーン。                   
舞台はプエルトリコ。連続少女レイプ殺人事件が起き、警察
は第2の事件での遺体の発見者に疑いの目を向けている。そ
の発見者は町の名士でもある弁護士。57歳だが20歳近く歳の
離れた美しい妻を持ち、表面的には非の打ち所のない紳士。
しかしウィンター・フェスティバルの最中、警察に呼ばれた
男の実像が尋問によって徐々に明らかになって行く。   
18メートルも離れた別々の寝室に寝る夫婦の間は冷えきり、
男には少女愛の性癖もある。そして妻の許可で行われた警察
の家宅捜索によって、写真が趣味の男の暗室から殺された少
女たちの親しげな笑顔を撮った写真が発見される。    
この弁護士をハックマンが演じ、彼の友人でもあり、事件を
追求する警察署長をフリーマンが演じる。そして弁護士の妻
がベルッチ、尋問に立ち会うちょっとエキセントリックな若
い刑事がジェーンという配役だ。            
演出では、フラッシュバックを多用し、しかもその中に現在
の人物を配するというトリッキーな演出が面白く、オリジナ
ルのフランス映画を見ていないので、そこでどのような手法
が使われていたか不明だが、これが『エルム街5』や『プレ
デター2』、そして『ロスト・イン・スペース』を監督した
スティーヴン・ホプキンスの作品かという感じがした。  
空撮や祭りの様子を、駒落としやスローモーションなど緩急
をつけて撮影したり、また、夜間の祭りの様子を背景のビル
の屋上までパンフォーカスで捉えるなどの撮影技術の使い方
も良い感じだった。                  
当然、主演の2人の対決が見ものだが、そのシーンは英語で
渡り合う。しかしフリーマンの部下への指示にはスペイン語
が使われ、またベルッチのたどたどしい英語もなるほどと思
わせる。いかにもプエルトリコという雰囲気が溢れていた。
                           
『ブルー・エンカウンター』“衛斯理藍血人”      
香港のSF作家ニー・クァン原作でウェズリーという主人公
が活躍する香港製SF映画。              
原作はシリーズで、すでに3作が映画化されているが、主人
公をそれぞれ異なるトップスターが演じており、香港では一
種の名物シリーズになっているようだ。そして今回の主人公
は、『ファイターズブルース』などのアンディ・ラウが演じ
ている。                       
国連所属の地球外生物分析局(AAA)に勤務するウィズリ
ーは、地球上にすでに500種以上侵入している異星人を追跡
している。そして今回は、サンフランシスコの骨董屋が仕入
れた青い骨を紹介される。               
しかしその骨董屋と交渉している最中、一人の女性が現れて
強引にその骨を買い取ってい行く。彼女は、ウィズリーが小
学生の時に目撃した青い血の女性とそっくりだった。そして
その直後に彼は凶悪な異星人に襲われるが、彼女の超能力に
よって助けられる。                  
一方、アメリカ政府はFBIを使って異星人を追っており、
ウェズリーのテレパシー能力を利用して彼女の追跡を開始す
る。しかし彼らは、ウィズリーを助けた超能力を兵器に利用
しようとしていた。そこに、さらに彼女を追ってきた別の凶
悪な異星人が現れる。                 
まあ『MIB』のパクリといえばそれまでだが、これをアン
ディ・ラウに、『ハッピー・フューネラル』のロザリンド・
クァンと、『クローサー』のスー・チーの共演で描くのだか
ら、それなりに面白くはなっている。          
「青い血」と言われて、僕は78年製作、岡本喜八監督の『ブ
ルー・クリスマス』を思い出したが、実は本作の中で、20年
前に一度日本で捕えられたと言う台詞があり、おやと思わさ
れた。プロダクションノートにも何もないし、まあ偶然かも
知れないが…。                    
                           
『二重スパイ』(韓国映画)              
朝鮮半島の南北の狭間で翻弄される男女を描いた2003年の作
品。                         
1980年、東ベルリンの北側大使館に勤務していた男が西側に
脱出する。脱北者を装って南の情報を探ることを任務とした
男は、拷問に近い尋問にも耐え抜き、3年後には北の事情に
精通する者として南の諜報部に勤務することになる。   
そしてその頃、男はラジオの音楽番組のナレーションに隠さ
れた暗号によって、「DJに会え」という指示をうける。そ
のDJ・スミは、北に渡った元将軍の娘で、父の亡き後、南
の市民を装いスパイ活動の連絡係をしていた。      
北でスパイの訓練を受けた男と、周囲の状況でスパイになら
ざるを得なかった女。しかし2人の間に愛が芽生えたとき、
運命は変えようの無い事態へと進展して行く。そして、2人
は南北の両方から追われることとなる。         
『シュリ』『JSA』など、朝鮮半島の南北問題を扱った作
品は、日本でもヒットが約束されているようで、本作はつい
に東映系で全国公開されるということだ。        
南北問題といっても、北側が描かれる訳ではなく、韓国側の
対応が主題とされるのだが、特に本作では、留学生拷問死事
件など実話に基づく南側の諜報部の問題が描かれており、物
語自体はフィクションだが、かなり複雑な思いがする。  
物語は、ちょっと御都合主義的なところもあり、謎解きもあ
まり克明に描かれている訳ではない。男の変心もちょっと唐
突かも知れない。しかし全体を包む雰囲気が、それらを押さ
え込む重さを持っている。               
撮影は、チェコやポルトガルでも行われており、それぞれの
舞台の雰囲気を見事に描き出して、本作の味わいを深めてい
た。                         
                           
『アダプテーション』“Adaptation”          
ニューヨーカー誌に掲載されたノンフィクションの記事を、
チャーリー・カウフマン脚本とスパイク・ジョーンズ監督の
『マルコヴィッチの穴』のコンビが映画化した作品。   
蘭の花に魅せられ、フロリダに湿地帯の生物保護地域から野
性の蘭を盗伐している男ジョン・ラロシュ。その男を取材し
たニューヨーカー誌の記事を基にした映画化が、カウフマン
の脚色(アダプテーション)によって行われるはずだったの
だが…。                       
映画は巻頭、『マルコヴィッチの穴』のスタジオ風景から始
まる。マルコヴィッチ本人やジョン・キューザック本人が撮
影を続けるスタジオの片隅に、ニコラス・ケイジ扮する脚本
家チャーリー・カウフマンが登場する。これが処女作の脚本
家は、スタジオではよそ者扱いだ。           
そのチャーリーに、次の脚本の依頼が舞い込む。それはノン
フィクションの脚色だった。蘭の花に魅せられた男。その世
界を大切に描きたい脚本家。しかし物語の無い原作を、創作
無しに脚色することは困難な仕事だった。脚本家は思い悩み
続ける。                       
一方、脚本家の双子の兄弟ドナルドは、シナリオ教室に通っ
て、その講師の教えに従った脚本を書き上げる。それは余り
にステレオタイプの作品だったが、6桁の契約金で映画化権
がハリウッドに売れてしまう。             
どんどん売れっ子になって行くドナルド、その脇でチャーリ
ーの悩みはさらに深刻になって行く。そしてついにチャーリ
ーは、原作者に会って直接話を聞くことを決意し、ニューヨ
ークへと向かうのだったが。              
一体、これの何処が原作の世界を大切にした脚色なのかと言
われそうだが、実は、登場人物のラロシュを演じたクリス・
クーパーは今年のオスカーをこの演技で受賞しているし、女
性記者の役はメリル・ストリープが演じている。     
僕は物を書く立場の人間だから、どうしても脚本家の方に目
が行ってしまう訳だが、それに並行してラロシュと女性記者
の関係が描かれている。そこにも見事なフェイクが仕込まれ
ているのだが、実在の人物たちがこの創作を由としているの
だから、見事なものだ。                
人間に対する洞察力の鋭さがカウフマンの魅力だと思うが、
この目茶苦茶な展開にも本人たちが納得した所以はその辺に
あるのだろう。                    
僕は、71年にケン・ラッセルが監督した『ボーイフレンド』
以来の見事なアダプテーションだと思った。       
                           
『永遠のマリア・カラス』“Callas Forever”       
フランコ・ゼフィレリ監督が生前親交の深かったマリア・カ
ラスの最後の数ヶ月を描いた2002年の作品。       
1977年のカラスの死後、ゼフィレリにはハリウッドの2社か
らカラスの伝記映画についてオファーがあったそうだ。しか
しゼフィレリは、彼女をスキャンダルの面で描くことを拒否
し、結局その企画は実現されなかった。         
そのゼフィレリが、20数年を経て、あらためてカラスを描い
た作品ということだ。しかしそれは、カラスの本質を描きつ
つも不思議なファンタシーに満ちた作品になった。    
1974年の日本での、そして世界での最後のコンサートが開か
れてから数年後、パリのアパルトマンに老女のメイドと共に
2人で暮らすカラスは、世間から完全に姿を消していた。し
かし、以前にカラスとの親交の深かった1人のプロモーター
が、ある企画を思いついたことから物語は始まる。    
それは全盛期に吹き込まれた音源と、現在のカラスの演技を
合成して、オペラ映画を作り上げること。当初は企画に反対
のカラスだったが、自ら最悪の出来という日本公演のヴィデ
オに、全盛期の歌声を合成した映像を見せられ、徐々に乗り
気になって行く。                   
そしてついに、歌だけは吹き込んだものの、舞台では演じた
ことのない『カルメン』の映像化が決まる。リハーサル、相
手役のオーディション、ダンスレッスン、そして撮影開始。
それはスペインでの野外撮影も駆使した素晴らしい作品へと
仕上がって行くが…。                 
実際にこのような映像化が行われたという記録はない。しか
し、『カルメン』の経緯については真実のようで、多分ゼフ
ィレリにとって、これは夢の企画だったのかもしれない。も
ちろん映画の中でも言われているように微妙なところもある
のだが。                       
そしてその夢の企画を、ゼフィレリは見事なファンタシーの
形で実現してみせたのだ。               
映画では『8人の女たち』などのファニー・アルダンがカラ
スを演じるが、オペラシーンは全てカラス本人の歌声が使用
されている。その圧倒的な歌声とアルダンの見事な演技、そ
してゼフィレリの演出で、本当に実現したら見たくなるよう
な『カルメン』だった。                
それにしても、カラスも享年53歳だったとは…。     


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井口健二