2002年10月31日(木) |
東京国際映画祭(前) |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、東京国際映画祭の上映映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介します。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ (コンペティション部門) 『風の中の鳥』(スリランカ)“Sulang Kirilli” 縫製工場で働く若い女性を主人公にした実話に基づく社会派 ドラマ。 主人公は兵士の男と関係し、妊娠してしまう。しかし男には 妻がおり、不倫だったことが判明する。男は中絶を要求し金 も用意するが、法律はそれを許さない。しかもその時すでに 妊娠7カ月、胎児は動きだし、彼女には胎児への愛情が芽生 えていた。 法学部に学んだという女性監督の作品で、ティーチインでの 「これは、普通に起こり得る話か、それとも特別な女性の物 語か」という僕の質問に対して、「スリランカでは性教育が タブー視されている現状から、通常起こる話だ」という回答 だった。 映画は、男の目で見ると男の身勝手さみたいなものが印象に 残るが、映画の訴えたいところは、それより女性の自覚、自 立の問題のようだ。現在も内戦やテロが続く中での、社会の 厳しさが鮮明に描かれていたようにも感じた。 『ベンデラ−旗−』(インドネシア)“Bendera” 1枚の国旗を巡って、インドネシアという国を寓意的に描い た作品。 スラム街で隣同士に暮らす小学生の男女が、月曜日の朝礼で 国旗を掲揚する役に選ばれ、ちょっと汚れた国旗を洗濯して くるように命じられる。ところが、一生懸命洗った国旗はち ょっと目を離した隙に行方不明となり、その国旗を追って2 人の冒険が始まる。 最初、余りにも偶然が重なって国旗が移動してしまうので、 ちょっと物語的にどうかと思ったのだが、全てが寓意という ことだと納得できる。特に途中で西欧の国旗を背負ったパン ク調の若者がちょっかいを出す辺りはなるほどと思わせる部 分だ。 民俗音楽からポップスまで音楽を多用したり、かなりポップ な感じの作品だが、監督は昨年12月に紹介した『囁く砂』の 監督ということで、その作風の違いに驚かされた。しかし, ティーチインでの「今後はどっちの方向に進むのか」という 僕の質問に対しては、「まだいろいろ実験をしているところ で、第3作はまた違った作品になる」ということだった。 因に、国旗について歌った主題歌は、6週間以上ヒットを続 け、第2の国歌になりそうな勢いだそうだ。しかしその主題 歌の歌詞に字幕がないのが残念、何度も「インドネシア」と いう言葉が出てきたのは判ったが。 『卒業』(日本) 内山理名の主演で、ちょっとファンタスティックの雰囲気も ある恋愛ドラマ。 とある大学で教鞭を取る、冴えない心理学の教授・真山。彼 には将来を誓った女性がいるのだが、約束の時間には必ず遅 れるなどのルーズな面がある。そんな彼に一人の女子生徒が 接近してくる。そして彼女が差し出した1本の傘が、いろい ろな波紋を呼ぶ中で、徐々に彼自身が変って行く。 内山の演じる女子生徒が、意図してあるいは意図せずに行う 行動が、真山を迷わせ、振り回されても行くのだが、内山と 同じ年代の娘を持ち、かつ真山よりは年上だが、たぶん同じ ような性格の自分としては、見ていてある意味で填められて しまった。 脚本はちょっと回りくどいところもあるが、日本映画にして はどろどろしたところや、嫌みな感じもなく、良くできた作 品だと思う。 この題名を見るとどうしてもマイク・ニコルズの名作が思い 浮かぶ。映画の後半でよく似たシーンが登場するのは、たぶ ん意図してのことだろう。それもまた巧みに感じられた。 『バーグラーズ 最後の賭け』(ドイツ)“Sass” 1920年代に実在した銀行強盗ザス兄弟を描いた歴史ドラマ。 兄弟はベルリンで自動車の修理工場を営業していたが、厳し い税金の取り立てに怒り、税務署を襲って現金を盗み出す。 それはガスバーナーで金庫を破るという最新の手口で、その 素早い犯行は警察の手配も間に合わない。 そして証拠も全く残さないために、警察は彼らの仕業と決め つけるのだが、逮捕には踏み切れない。そんな彼らに民衆も 味方し、ナチス台頭が暗い影を落とす中で人々のヒーローと なって行く。 ニュースリールの挿入などもあるが、当時の風俗を再現した シーンは、すばらしく見応えもあった。徐々に忍び寄るナチ スの陰などもはっきりと描かれ、ネオナチの台頭という最近 のドイツの国情に照らしても、今描くべき作品だったのだろ う。 『希望の大地』(南アフリカ)“Promised Land” アパルトヘイト脱却後の郊外の白人コミュニティーを背景に したサイコ・スリラー。 主人公は、25年前に両親と共にイギリスに渡った青年。30代 になり、母親が死んだことをきっかけに南アフリカの故郷の 牧場を訪れる。その牧場は水脈の上にあり、叔父が管理して いるはずだったのだが。 来る早々道に迷った主人公は、とある農場の家に泊めてもら うのだが、その一家は彼の両親や叔父のことは覚えているも のの、詳しい状況を語ろうとしない。しかも25年前は肥沃だ ったはずの土地は、旱魃で不毛の地になろうとしていた。 南アフリカでは、アパルトヘイト脱却後、白人の農場を政府 が買い上げ、黒人に売り渡す政策が行われたようだ。しかし そんな政策を白人の農場主たちが容認するはずはなく、政府 の政策に賛成した一部の白人は疎外され、かえって白人至上 主義を煽る結果になった。 そんな背景を踏まえての作品で、不毛の地に暮らす白人コミ ュニティーの、何とも持って行き場のない不満や焦りが、よ そ者である主人公に向けられて行く。 最初は社会派ドラマかと思って見始めたが、たぶんフィクシ ョンを強調するために、サイコ・スリラーの描き方になって いる。しかし現実はどうなのだろうか、という辺りでかなり 強いアピールになっている感じがした。 なお撮影は、『エピソード2』などのディジタルヴィデオシ ステム・シネアルタで行われている。 『藍色大門』(台湾)“藍色大門” 台北の高校に通う17歳の男女を描いた青春ドラマ。 主人公の女子生徒は、女友達に頼まれて夜のプールで泳ぐ男 子生徒に声を掛ける。しかしシャイな女友達は姿を消し、男 子生徒は主人公自身が自分に曳かれているのだと思い込んで しまう。そして主人公は板挟みになり…。 監督はテレビやコマーシャルフィルムなどで高校生ものに実 績のある人だそうで、ティーチインでは「物語はオリジナル だが、その長年のリサーチが活かされているのではないか」 と語っていた。 主人公と男子生徒の役には、実際に台北の渋谷みたいなとこ ろでスカウトしたということだが、撮影開始前に1カ月のト レーニングを行ったということで、素人とは思えない見事な 演技だった。 物語自体も、素朴で、どこにでもありそうな話で、そんな自 然さが出演者たちの自然な演技と結びついて、何かノスタル ジアを感じさせる。ちょっと前の大林のような感じの作品だ った。 なおこの作品は、当初コンペティションに選ばれたが、先に 別の映画祭への出品が判明したため、映画祭規約により選外 となっている。 『ホテル・ハイビスカス』(日本) 京都出身で、琉球大学に進学したまま沖縄に居着いてしまっ たという中江祐司監督の沖縄を舞台にした作品。 米軍キャンプの近くに建つ、客室一つの小さなホテル・ハイ ビスカス。そこに暮らすのは、婆ちゃんと、かあちゃんと、 とおちゃんと、黒人の血を引く長男と、白人の血を引く長女 と、沖縄人の血を引く美恵子。 美恵子は、小学3年生だが、いつも男子を従えて遊んでいる やんちゃな子。こんな美恵子の周囲で起こるいろいろな出来 事を連作短編のような形で描いた作品だ。 そしてこの美恵子を演じた子役が、何しろ元気が良くて見て いて本当に楽しい。 物語は、この一家の唯一の客としてやまとんちゅの若者が現 れたところから始まるが、といってもこの若者は何する訳で なく、つまりこの若者はやまとんちゅである我々観客の代表 というところだ。 そしていろいろ綴られるエピソードでは、長男の父親の米兵 が移動の途中でキャンプ地に来て長男に会いたいと伝えてき たり、キャンプ地の中に住む猫食いと噂される女性の話、2 日間の出稼ぎに行ったとうちゃんを訪ねて行くときに美恵子 が精霊に会う話、お盆で幼くして死んだ叔母さんが帰ってく る話などが語られる。 こんな沖縄の現実と素朴さが、三線(さんしん)の音に載せ て素敵に描かれている。 しかし物語の前半では、射撃訓練であろう大砲や機関砲や、 ヘリやジェット機の音がバックに流れ続ける。これも沖縄の 現実だと言わんばかりに。そのメッセージは強烈だ。 『わが故郷の歌』(イラン)“Marooned in Iraq” イラン・イラク国境のクルディスタン地方を舞台に、クルド 難民の姿を描いた作品。 主人公は、クルド人の元歌手の父親とやはりミュージシャン の2人の息子。ある日、父親に昔しバンドのメムバーと共に 別れて行った妻から、救援の要請が来たとの話が伝わる。そ してその要請の手紙の持ち主を探す内、親子は徐々に国境へ と近づいて行く。 最初イランの砂漠で始まる物語は、空爆の音が途切れなく続 く山岳地帯に進み、ついには雪に閉ざされたイラク側の難民 キャンプへと至る。 その物語の途中では、イラン側の日干し煉瓦工場や村を上げ ての結婚式などが描写され、ロードムーヴィ風に進むが、や がて国境が近づくに連れ、両親の殺された子供だけの難民キ ャンプや、虐殺された人々の集団墓地、男たちが皆殺しにさ れ女だけになってしまった町など、想像を超えた世界が展開 する。 しかもそれぞれの場所の、子供たちや女性の人数の多さに驚 かされる。もしかするとこれらは、演技や演出ではない、現 実の風景なのかもしれない。 それでも、それらの場所に着く度に、親子3人の音楽が演奏 され、歌と踊りが始まる。そんなシーンに人々のヴァイタリ ティを感じる。特に子供たちの快活さには、驚きと同時に感 動を覚えた。 なおこの作品も、先に別の映画祭への出品が判明したため、 映画祭規約により選外となっている。 (特別招待作品) 『ザ・リング』“The Ring” この作品も、内容を紹介する必要はないだろう。一種の社会 現象にまでなった和製ホラー映画のハリウッドリメイク版。 ホラー映画だから驚かされるのは当然だが、この映画で一番 驚いたのは、何と言っても物語が日本版映画とそっくりだっ たということだ。もちろん貞子の設定などは違うのだが、ク ライマックスの貞子(ハリウッド版はサマラ)の登場シーン などはほとんど丸写しに近い。 このシーンには、当初の情報ではモンスターが出てくるとい う話で写真もあったのだが、完成版ではそんなものはまるで なし、アメリカ公開が2カ月遅れたのは、これを撮り直して いたのではないかと勘繰りたくなる程だ。 実際、アメリカでもいろいろな試みはしたが、結局日本版を 超える映像は作れなかったということかもしれない。確かに 日本版のあのシーンは出色の出来だから、それも仕方のない ことだろう。小手先の小細工をしなかっただけ、かえって潔 さを感じた。 実は、上映の前に記者会見があって、そこでの「なぜ日本映 画をリメイクしようと思ったのか」という問いに対して、製 作者のウォルター・F・パークスが、「ハリウッドでの日本 映画のリメイクには伝統がある。60年代にハリウッドの西部 劇が確立したのは、黒沢監督の作品のおかげだ」と答えてい たのも嬉しかった。 もちろんハリウッド映画であるから、VFXを始め、いろい ろな部分でたっぷりとお金の掛かったシーンが繰り広げられ て、その緻密さは日本版超えている。日本版を見ていない人 はもちろんだが、見ている人でも一見の価値があるし、見て 損はないと思う。
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