井口健二のOn the Production
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2002年06月02日(日) ニューヨークの恋人、プロミス、海は見ていた、ブレイド2、フューチャー、天国の口、銀杏のベッド、ガウディ、チョコレート

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介します。       ※
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『ニューヨークの恋人』“Kate & Leopold”
ヒュー・ジャックマン、メグ・ライアンの共演で、19世紀の
イギリス貴族が現代に現れ、キャリアウーマンと恋に落ちる
というファンタスティックコメディ。
1876年、没落しかかった公爵のレオポルドは、金持ちの花嫁
を探すためにニューヨークを訪れていた。しかし建設途中の
ブルックリン橋の前で不思議な行動をする男を発見し、その
夜、花嫁選考のパーティーで再びその男を見付けたレオポル
ドは、その男を追跡して、未来への時間の裂け目をくぐって
しまう。
こうして現代にやってきたレオポルドは、次の時間の裂け目
が開くまで、その男のアパートで暮らすことになるのだが。
その階下にはその男の元恋人で、今や宣伝会社のトップの座
を目前にしたケートが住んでいた。彼女は、今までに何度も
男に裏切られ、これからは仕事一筋に生きようとしていたの
だが…。
まあ、SFと言うよりはラヴロマンスだから、余り多くは期
待しないほうが良いが、それでも巻頭の19世紀のニューヨー
クが描かれたシーンはなかなかの出来で、これならジャック
・フィニーの『ふりだしに戻る』もそろそろ行けるのではな
いかという感じがした。もっともフィニーの場合はほとんど
のシーンが過去の場面だから、もっと大変になることは判る
のだが。
なお、現代に来たばかりのレオポルドが間違ってTVを点け
てしまうシーンで、画面に出てくるのが『プリズナーNo.6』
(しかもオレンジ警報のシーン)というのがちょっと意外で
嬉しかった。

『プロミス』“The Promises”
パレスチナに暮らす子供たちの姿を追ったドキュメンタリー
作品。巻頭、1997年から2000年の比較的平穏だった時代に撮
影された、というコメントが入り、現実の厳しさが突きつけ
られる。
作品はイスラエル人、パレスチナ人双方の子供たちが述べる
意見が中心で、10歳台前半と思われる子供たちが大人顔負け
の歴史と文化に基づく主張を繰り広げる。しかもその何人か
は、実際に弟を殺されたり、投石抗争の当事者だったりする
のだから、いたたまれない気分になる。
映画ではその子供たちの何人かが互いに会うことを了承し、
パレスチナ人はイスラエル側に入ることが困難なため、イス
ラエル人の双子の兄弟がパレスチナ人のキャンプを訪れるこ
とになる。そして、ともに遊び、意見を述べ合い、そういう
交流をいつまでも続けることを約束するのだが…。
実際にはその2年後の取材で、パレスチナ人の少年(会見前
までは最も過激な意見を述べていた)からはイスラエル人の
双子にコンタクトがあるが、双子からは返事をしていないと
言い、しかもその理由がパレスチナ人に理解できないようだ
とも言う。
またユダヤ教の帽子を被って取材に応じていた別の少年は、
会見のときから参加を拒否し、パレスチナ人とは一切交渉は
しないと言い切る。やはりユダヤ教の帽子を被って、交渉は
大人に任せればいいのだと言う少年もいた。
アメリカ映画だから、どうしてもユダヤ寄りと思ってしまう
が、概してパレスチナ人の子供たち方が屈託がない。しかし
その子供たちが平然と武力抗争を唱える。
一方イスラエル人の子供の中には、会見に参加した双子のよ
うにユダヤ人らしく和平を望むものもいるが、ホロコースト
の歴史を引き摺って、頑なにユダヤ教の教えにすがっている
ものもいる。その根の深さが、問題の難しさを見事に表わし
ていると感じた。
アメリカでは昨年12月にテレビ放送された。それに合わせて
アメリカの配給会社がまとめたという9月11日までの歴史を
記した資料が試写会で配られ、勉強になった。

『海は見ていた』
黒沢明が最後に撮ろうとして出来なかった遺作脚本を、熊井
啓監督が完成させた江戸時代の遊郭を舞台にした時代劇。
江戸・深川、「川向う」と呼ばれた幕府非公認の私娼地・岡
場所に、女将と4人の遊女のいる茶屋があり、そこには善悪
いろいろな男達が出入りしていた。
ある日の夕刻、その店に一人の若侍が転がり込んでくる。遊
女のお新はその若侍を匿い、窮地を脱させるが、その後も若
侍はお新の元に通い続ける。そして「そんな仕事をしていて
も、仕事を止めればきれいな身体になる」と話す。その言葉
を信じた遊女達は、お新の将来を夢見て客を取らせないよう
にするのだが‥。
このお新を巡るもう一つの物語と、最後には深川が水害に襲
われるクライマックスを据えて、物語は綴られて行く。
黒沢監督の脚本で女性が主人公、しかもラヴ・ストーリー。
本人も「この年齢になって、やっと俺にも撮れるかなと思っ
たんだ。」と語っていたという、ある意味入魂のドラマを、
女性を撮らせたら実績のある熊井監督が引き継いだ。しかも
熊井監督には『黒部の太陽』のような水の猛威を描いた作品
もあるのだから、クライマックスを含めて、ベストの布陣で
作られた作品と言えそうだ。
黒沢の遺作脚本の映画化は、一昨年の『雨あがる』での侍の
妻の描き方もそうだったが、女性に暖かい目を向けているの
が印象的だ。試写会では、上に書いた前半の物語で男性が涙
を拭い、後半の物語では女性が涙を拭っていた。

『ブレイド2』“Blade 2”
アメリカンコミックスの映画化で、98年のスティーヴン・ノ
リントン監督作品の続編を、『ミミック』のギレルモ・デル
=トロ監督が手掛けた。脚本のデイヴィッド・ゴイヤー、主
演のウェズリー・スナイプス、共演のクリス・クリストファ
ースンは前作と同じで、ゴイヤーは総指揮、スナイプスは製
作も勤める。
前作の1年後、チェコのプラハで主人公はヴァンパイア相手
の孤独な戦いを続けている。そこに「クリーパーズ」と呼ば
れる新たなヴァンパイアの登場が告げられ、ヴァンパイア同
士も標的とする新種を前に、旧来のヴァンパイアの首領が主
人公に共闘を申し出る。
そして前作でヴァンパイアに連れ去られた主人公の知恵袋ウ
ィスラーも戻って、新たな敵への戦いが始まるのだが…。 
ほぼ全編がプラハで撮影され、主な舞台もヴァンパイアの巣
窟などに限定。その中で、CGIとワイアーを駆使して見事
なアクションが展開する。
元々CGIアクションが売りの作品だが、本作ではこれに加
えてドニー・ユンが振り付けた見事なマーシャルアートアク
ションも堪能できる。特にブレイドという名の通り日本刀ば
りの長剣も駆使され、そのチャンバラも良かった。
また、銀製の弾丸やニンニク、太陽光線などヴァンパイアも
のの定石も活かされ、これらがバランス良く描かれているの
にはゴイヤーの脚本の上手さがあるという感じがした。
なお、ユンはスノーマンという役で出演もしているが、その
胸に白字で「雪」と漢字が描かれている。実はユンは、釈由
美子主演の『修羅雪姫』のアクション監督も勤めており、そ
のためかとも思われるが。試写会でのユンの舞台挨拶では関
連する発言はなかった。

『フューチャー・ゲーム』“Gamer”
ヴィデオゲーム開発の裏話を扱ったフランス映画。
主人公はゲーム狂の街のちんぴらだったが、ある日警察に捕
まり、8カ月の収監中に究極の格闘技ゲームを思いつく。そ
して出所した主人公は元の親分に決別を告げ、アイデアの売
り込みを開始、とある女性社長のメーカーからデモ作品の開
発を求められる。
そして主人公は、堅気でコンピュータ会社に勤める元同級生
や、ポルノ配信で食いつなぐ元デザイナーなどを無理矢理集
めてデモを完成させるのだが…。女性社長との契約でだまさ
れ、全ての権利を奪われてしまう。
この事態に主人公とその仲間は復讐を計画、メーカーのゲー
ム発表が行われる8カ月後のゲームショウを目指して計画が
スタートする。
どうもフランスの若者映画というのには、ちょっとピントの
ずれを感じることが多い。本作でも前半の主人公のちんぴら
生活を描くシーンは何か違和感を感じていたのだが…。そこ
に突然CGIが入ってくる辺りから好い感じになってくる。
というのは、本作の前半と後半に1回ずつ実写の取り込みシ
ーンがあるのだが、これが上手い。前半のカーチェイスのシ
ーンではパリの中心街を取り込んだ中でゲームさながらのカ
ーアクションが展開し、後半の格闘シーンでは主人公の戦い
ぶりが見事に戯画化されている。
『ヴィドック』など最近のフランス映画のCGI技術には注
目するものがあるが、特に本作ではその扱い方に上手さを感
じた。

『天国の口、終りの楽園』“Y tu mama tambien”
ハリウッドで95年の『小公女』や97年の『大いなる遺産』な
どを監督したアルフォンソ・キュアロンが10年振りに母国メ
キシコに戻ってスペイン語で撮った作品。
物語は、高校卒業を控えた2人の若者が、それぞれのガール
フレンドも家族旅行で海外に出かけてしまって暇と身体を持
て余し、たまたまパーティで出会った従兄弟の妻を誘って、
幻の入り江「天国の口」を目指すというロードムーヴィ。
大人になり切れない2人の若者と、夫の浮気やいろいろな現
実の辛さから逃れようとする女の、切なくも何か心に残る旅
が綴られる。
ところがこの作品、実はアメリカではノン・レイティング、
つまりアダルト映画として公開されたということでも話題に
なっている。というのも映画の中で余りにも赤裸々にセック
スシーンが描写されるためなのだが…。映画自体はもっと純
粋だし、僕自身は青春映画として上の部類に入ると思うのだ
が、規制というのはどの国でも面倒なもののようだ。因に日
本では、ヘアや男性器が写る他に、久しぶりに画面の1/3
くらいがボケボケになるシーンがかなりある。
映画の中では、かなりの長廻しが行われて、これがまた素晴
らしい効果を上げている。上手い人が撮った長廻しの素晴ら
しさも堪能できる作品で、僕は今年のベスト作品に入れても
良いと思っている。

『銀杏のベッド』(韓国映画)
日本でも98年に大ヒットした『シュリ』のカン・ジェギュ監
督と、主演のハン・ソッキュが最初にコラボレーションした
96年の作品。
舞台は現代、美大講師も勤める画家のスヒョンは、外科医の
恋人ソニョンにも恵まれ、何不自由ない暮らしをしていた。
しかしスヒョンは不思議な夢を観るようになり、その夢に導
かれるように迷い込んだ路地で銀杏の古木から切り出したベ
ッドを購入する。
一方、彼の周辺では、不思議な事件が頻発していた。それは
心臓を抜かれた死体が発見されたり、ソニョンが手術を担当
して経過も良好だった患者が急死、葬儀の最中に突然蘇った
りというようなものだったが、その影は徐々にスヒョンにも
近づいてくる。
そしてスヒョンの前に謎の美女と古代戦士が現れる。戦士は
スヒョンを襲い、美女が助ける。その裏には、1000年も続く
悲恋の物語が隠されていた。
実は00年に、ジェギュの脚本、総指揮で製作された『燃ゆる
月』という作品があり、この作品はその年の東京国際映画祭
での上映で観ているのだが、ここで古代戦士達の物語が紹介
された。
その時から前編があると言われ、気になっていたのだが、よ
うやくその作品を観ることが出来たという訳だ。といっても
物語は完全に独立しているし、別々に観ても問題はないのだ
が、日本では同時公開(2本立てではない)になるらしい。

『ガウディアフタヌーン』“Gaudi Afternoon”
アントニオ・ガウディの生誕 150周年を記念した訳ではない
が、バルセロナを舞台に、ガウディが残したいろいろな建築
を背景に繰り広げられる、ちょっと奇妙な物語。
主人公は、18歳でミシガンの家を飛び出し、世界中を流れ歩
き、辿り着いたバルセロナでスペイン語の小説を英語に翻訳
して暮らしを立てている独身の女性。その主人公に、アメリ
カから失踪した夫を捜しにやってきたと言う女が助けを求め
てくる。
翻訳が上手く行かず煮詰まっていた彼女は、3000ドルの報酬
にも曳かれて、その仕事を引き受けるのだが…。仕事を依頼
した女が実は男性で、捜し当てた夫は女性だった。そして2
人の間には娘がいて…。
監督のスーザン・シーデルマンは、85年の『マドンナのスー
ザンを探して』で有名だが、85年の作品はマドンナの主演と
いうことで色眼鏡で観られているものの、実際の作品は一風
変った作風で面白かった記憶がある。
今回の作品もちょっと捻った人間関係が面白いし、これをジ
ュディ・デイヴィス、マルシア・ガイ・ハーデン、リリ・タ
イラー、ジリエット・ルイスというちょっと渋目の女優の共
演で、上手く纏め上げている。
映画に登場するガウディの建築や、バルセロナの町並もきれ
いで、行ってみたくなった。

『チョコレート』“Monster's Ball”
ハル・ベリーが史上初のオスカー主演女優に輝いた作品。
白人至上主義の州刑務所の看守で死刑執行官でもある男と、
その男の手で死刑を執行された黒人死刑囚の妻の女。その2
人が共に息子を失ったことから巡り合い、互いに惹かれて行
く姿を描いたヒューマンドラマ。
男は息子の死を切っ掛けに自分の愚かさに気付き、女と出会
うのだが、自分が彼女の夫の死刑を執行したことを隠してい
る。そんな2人のぎこちない、まるで少年と少女のような愛
の育みが、ベリーとビリー・ボブ・ソーントンによって見事
に描き出される。
一方、男の父親役をピーター・ボイルが演じ、『ジョー』の
イメージそのままに、超保守的な老人役を熱演。本人がそう
いう主義者でないことは、出演作品の傾向を見ればわかる訳
だが、ハリウッドでこれほど見事にイメージの決まった俳優
も珍しい。
実際のところ物語は、男の贖罪が中心であって、女はその対
象なのだが、彼女が男の謝罪を受け入れるか否かに最大のド
ラマが作られている。そのドラマへ持って行くシーンの描き
方に映画の醍醐味を感じた。
物語自体は、大方の予想通りに進んで行き、意外な展開など
全く無いのだが、それでも感動してしまうのは、脚本の上手
さ、そして2人の演技と見事な演出の賜物だろう。ハル・ベ
リーのオスカー受賞には完全に納得した。
この作品は人種差別への批判を声高に言っている訳ではない
が、こういうドラマがいつまでも作られることに問題の根の
深さを感じさせられる。なお原題の意味は、死刑執行官たち
が処刑日の前日に、その重圧から逃れるために行うパーティ
のことだそうだ。


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井口健二