せきねしんいちの観劇&稽古日記
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9月19日(土) 今日も二回公演。 昨日の夜から、着付けを共演の吉田幸矢さんと山口晶代さんのお世話になっている。 写真は着付けた後の後ろ姿。初日と帯が違うのは、衣装の鳥井さんと相談して、もう少し派手にしてみたため。 終演後、三枝嬢、目劇者のみどりさんたちが楽屋にきてくれる。 三枝嬢からは、肌にやさしい「ウォータークレンジング」のボトルと、オーガニックなコットンの差し入れ。ブログを読んで心配してくれたそう。感謝。 みどりさんたちからもうれしい差し入れ。にぎやかにしばしおしゃべり。ありがとうございました。 ソワレの前に、ふと楽屋の化粧前で、松尾智昭さん、根岸光太郎さんと三人になる時間があって、三人並んだ化粧前で、芝居の話をいろいろとする。 川和先生から聞いた、「城」の初演で、ヒロインの雪絵を演じていたのは新派の女形、喜多村禄郎さんだったということ。 「根岸の一夜」を川和さんに渡されて読んだ松尾さんが、加賀川役は「女形じゃないですか」と川和さんに伝えたという話(それで、僕に出演の依頼があったんじゃないだろうか)。 最初に読んだときは、ほんとになんだか分からなかった「根岸の一夜」を、演じているうち、演じているのを見て聞いているうちに、だんだんわかってきたという不思議について。 などなど、今だから言えるというようなことをいろいろ話し、うかがった。 ドラマチックな盛り上がりがあるようなないような、不思議な台本「根岸の一夜」をやりながら、演じていてとても楽しいのは、いいセリフがいっぱいあるせいかもしれないと思う。 前半の、抱一上人と二人で、間に養子の八十丸(実生ちゃん)をはさんでの長い場面、松尾さんも僕も長セリフがずっと続くのだけれど、これがとってもいい時間なのだ。 自分がどうやろうとか、どういうふうにこの場にいようかというようなことはさておいて(座り位置にはとても気をつけるのだけれど)、この場面の抱一上人の話がほんとにおもしろい。 酒井家との関わりを洒落のめして語るセリフ、自分は絵描きしては上々の人生を歩んできたという話に加賀川がこんな話をする。
加賀川「思えば、私(わちき)も運のいい方ざますね。」 抱一「あはは、まずそうだ。その上にそんな子は出来て行く末の便りはある。ただこれからは命だいじに永らえて移ってゆく世をながめるのだ。『楽しみは命のほかはなかりけり、長らえて見る有明の月』年をとっての楽しみは、寂しくともただ命だ」。」 加賀川「だが上人さん、私は時々、思いいす。人間というものも、これが一生ならばつまらぬもの。しあわせというものも、大抵こんなことならば、いっそ生まれぬほうがまし。そう思いいすと、ふっと嫌な気持ちになりいして気が滅入り、何ともいえぬ気がしいす。」 抱一「ふむ、其方はそんな気が時々起こるか」 加賀川「あい」
僕はこの場面の加賀川のセリフが、樋口一葉の「にごりえ」のおりきの言葉のように思えてしまう。 「にごりえ」には「これが一生か、一生がこれか」というおりきのセリフがある。 そんな加賀川に抱一上人は、「物はつきつめて思うものではない。(中略)物はぢっと見つめたり、思いつめたりするものではない。ただ軽く見ておくものだ」と話す。 それを聞いていると、慰められるような、許されたような、とても静かな気持ちになれるのだ。 どう演じるかということもとてもおもしろい場面なのだけれど、このセリフのやりとりの中に身を置いていること、この言葉を受け止めている時間が、なんだかとてもしあわせに感じられる。大好きな場面だ。 終演後、小松川高校演劇部の後輩の西山くん、フライングステージのお客様のIさん、劇団印象のまつながさんが顔を出してくれる。 西山くんとはほんとにひさしぶり。この土日は、小松川高校の文化祭なのだけれど、僕は名作劇場があるので、顔を出せない。みんなによろしくとお願いする。 Iさんは、とても楽しんでくれて、明日、お友達と一緒にまた来て下さるとのこと。とてもありがたい。 まつながさんから、「父産」の稽古のことをいろいろうかがう。フライヤーと台本をいただいた。来週末からは、また稽古が始まる。 今日もスタッフルームでの缶ビール飲みに参加。 そういえば、ソワレの開演前、誰かが「八回裏」と言っていた。全部で九回の公演、二本立ての二本目だから、たしかにそうなる。「まだ逆転のチャンスはある」というのに「え、負けてるの?」などと軽口を言いながら、開演前の板付きの準備をした。 明日はいよいよ「九回裏」の公演。これでおしまいだ。勝ち負けはどうでもいいので、いい試合をしたいと思う。
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