せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2001年11月14日(水) |
新国立劇場「コペンハーゲン」 |
朝10時発売の新国立劇場のZ席をゲットするため、出かける。 ほんの出来心で、自転車で行くことにする。 高円寺から初台までは、青梅街道→山手通りというのが一番簡単そうなのだけれど、途中でふと「近道」がしたくなり、何の根拠もないのに、右折してしまう。 思い切り坂を上り下りし、中野新橋の駅前を通り、延々とくねくね曲がり、幡ヶ谷の駅前で甲州街道に出る。 道は細いし、人は多いし、かなり後悔。 それでも、無事にチケットはゲット。 自転車を、初台駅前の地下駐輪場に100円でとめて、OLバイトに向かう。
夕方、電車で初台まで行き、ずっと見たかった「コペンハーゲン」を見る。
内容についてはこちらを→ コペンハーゲン
この席には何度座っただろうってかんじの、2階下手側ギャラリーの舞台寄りの席。 今回も舞台を張りだしているのでとっても見やすい。第一とっても近いしね。 15分の休憩をはさんで2幕、2時間50分の芝居。 これは、とってもすごい芝居だった。 もう、すごいとしか言えない。 セリフの芝居が好きな人にはたまらないだろうな。 登場人物は3人だけ。この3人がとにかくしゃべりまくる。 原子物理学のお話だから、きっと「勉強させられてしまう」だろうと思ってたんだけど、全然そんなことはなかった。 死んでしまった3人が、過去の一日を再現検証するというお話は、それだけで複雑そうなんだけど、この芝居では、その過程がほぼ3回繰り返される。 なのに、全然、わかってしまえる。 たくさん出てくる、日付や人名も、ちっとも気にならない。 一番すごいのは、「不確定性原理」だとか「相補性原理」とかっていう、物理学の理論が、芝居が終わった後では、理解できてしまっていることだ。 ハイゼルベルク(今井朋彦)と彼の師であるボーア(江守徹)とその妻のマルガレーテ(新井純)。 1941年の秋、ハイゼルベルクは何故コペンハーゲンのボーアの家を訪ねたのか? この芝居はその謎を解くための物語。 ハイゼルベルクはドイツ人、ボーアはユダヤの血が半分混ざってる。 ナチスがヨーロッパ侵略を進めていく中、二人は、それぞれ、原子物理学の研究をし、結果、原子爆弾の開発に関わることになる。 ハイゼルベルクは、ナチスのもとで原子炉の開発をし、ボーアはロスアラモスでアメリカの加原子爆弾の開発に携わることになる。 死んでしまった現在から過去の一日を照らし出すという構成は、ある一日を、それ以後彼らがどうしたかということも含めて検証する。 人の一生の中のたった一日というものが、ほんとにかけがえのないものとして浮かび上がっている。 そのたった一日を、大事に大事に見つめ直す三人の人物のいとおしさ。 第二次大戦の最中、戦争を憎み、原子爆弾の開発を何とか食い止めようとする二人の科学者の葛藤の切なさ。 そして、この膨大なセリフ劇を、見事に立ち上げている、役者達のすばらしさ。 僕は、1幕の途中から、泣けて泣けてしょうがなかった。 まさか、こんなに感動するとは思わなかった。立ち上がったら、足が震えてるのにびっくりした。 2幕はわりとほのぼのしたやりとりで始まるんだけど、戦争の悲惨さはどんどん浮かび上がってくる。 不確定性原理っていうのは、「粒子の位置と速度を同時に正確に測定することはできない」というハイゼンベルクが提唱した原理なんだけど、この「正確に測定できない」っていうことが、ある一日を再現しようとするときにいつも浮かび上がってくる。 人物の記憶が曖昧になってくるとかそういうことじゃなくて、一日を、そしてある人物を、物事を把握しようとするとき、物事とは、どんどんわからなくなってくる。 一つの事柄が見えたと思うと、もう一つの別の事柄はわからなくなってくる。 このお芝居は、そんなふうな、大きな謎、ほとんど哲学的といってもいいような、大きな謎の存在をぼくらの前に提出してみせる。 それもとってもスリリングでおもしろく。 難しい用語や、人名が、すんなりどころかとってもワクワクして見れたのは、彼らのやりとり自体がおもしろいからなんだと思った。 舞台には椅子が三脚だけ、大きなアクションもない、とってもシンプルな芝居なのに、とってもドキドキさせられた。 そして、芝居ってやっぱりすごいんだと思わされた。 この大変な戯曲に挑戦した三人の役者さんは、すばらしかった。 同じ役者として、ただ頭が下がる思いだ。 今度、出版されてる戯曲を買って、読んでみようと思う。 きっとすごい大変な戯曲なんだと思う。 読んでわかるよりも、たくさんのことを、舞台は僕に伝えてくれたんだろうと思う。
帰りは、自転車置き場から自転車を出して、山手通り、青梅街道という、素直な道順で高円寺まで。 きっと上り坂ばかりで大変……と思ってたのに、それほどでもない。 ともあれ、自転車は、ほんの少しの坂のありなしが如実にわかる不思議なのりものだ。 ていうか、ただ歩いてるときには、ちっとも気にしない、自分の鈍感さが見えてくるかんじ。
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