せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2001年10月22日(月) 昴「嘆きの天使」

 千石にある三百人劇場はほんとひさしぶり。最後に来たのはもう十年くらい前の円の「リア王」だったと思う。
 この舞台は、ディートリッヒ主演の映画「嘆きの天使」を原作であるハインリヒ・マンの小説も元にしながら舞台化してます。
 感想はね、「こんな芝居してても大ジョブなんて、すごいな」ってところかな?
 台本も演出も、とっても中途半端で、何をしようとしてるのか、何を見せようとしてるのかよくわからない。
 わからないってこと以前に、ちゃんと「楽しませて」くれれば、全然OKなんだけど、そんなことを考えさせてしまう「隙」がいっぱいだ。
 高校教師を魅惑して破滅させる、映画ではディートリッヒが演じたローラを演じてる女優さんが、あんまりセクシーでないとか、妖しくないとかいう問題じゃなくって、芝居としてどうなのかしら?と思ってしまったよ。
 こてこてのメロドラマとして作るなら、もっと開き直った方がいいんじゃないかな?
 台本はどう考えてもそういうふうに書かれてるしね。
 でも、演出がきちっと押さえるところを押さえてないと思うんだよね。
 メロドラマってやつのいいところは、とってもわかりやすいってことだ。
 今日の舞台がわかりにくいのは、台本がちゃんと書けてないってこともあるけど、演出が「わからせる努力」「見せる努力」をしてないからだと思う。
 もっとおもしろくなると思うんだよね、きっと。
 教授役の内田稔さんはとってもいい芝居をしてるんだけど、よくわからない。
 やってることがじゃなくって、彼の役が芝居のなかでどういう意味を持ってるかっていうような、演出家じゃなきゃできないことがちゃんとなされてないかんじ。
 三百人劇場という、いい大きさの小屋なのに、こんな大味な演出はとってももったいないと思う。もっとダイナミックにショーアップするか(わかりやすくね)、もしくは緻密に緻密に作り上げるか、どっちかだと思うんだけど。
 冒頭のカフェで出てくるコーヒーは、空のカップなのに、そこに入れる角砂糖はほんもの。
 水が嫌いなの?と思ってたら、その後では、一座の座長が洗面器に入った水でスキンヘッドの頭(or顔)を洗ってた。
 空のカップに角砂糖の入る「カラン」って音が聞こえるのはやっぱりどうかと思う。
 舞台の約束といえばまあそうなんだけど。だって、角砂糖をかじる「ぽりぽり」っていう音も聞こえるんだから。
 文化庁芸術祭参加作品で、文化庁の助成も受けている舞台です。
 「いいな新劇って」って、思いました。ほんと。
 帰ってきたら、NHKでディートリッヒのドキュメンタリーをやってました。
 比べてもしょうがないんだけどね。それにしても、すごい女だったんだね、ディートリッヒって。びっくり。
 僕は、晩年の「ラスト・ジゴロ」のなかで彼女が歌う「ジャスト・ア・ジゴロ」って言う歌が大好きです。


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