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■ アルキメデスは手を
「アルキメデスは手を汚さない」
時代を感じる。
むしろ私が高校生であった数年前では、 こんな高校生はいない。 学生奮闘が下火になり、いわゆる無気力世代と言われた時代の高校生 その中でも、世の中のおかしなこと、不合理なことを 一つ一つつぶしていこうと、「純粋に」行動をしかける彼ら。
なんだかきらきらしていていて、「カッコイイ」くて、どきどきした。
「それでも、アルキメデスや原爆発明者は、手を汚さなかったと言えるだろうか」
この問いが、結局のところこの物語に一貫して問われる問いなんじゃないだろうか。
この世の中に、手を汚さない、崇高なものなどあるのだろうか。
という問いではないか、と思う。
その崇高なものというのは、冒頭に出てくる高校生らしい内藤たちの若竹のような四肢であり、肉の乗りきらない薄い胸だったりするんじゃないだろうか。
物語が進むにつれて、驚くほど柳生たちは冷静になっていく。 けれど自分の恋愛のことや、肉親のことになると、 高校生らしい表情を見せる。
このギャップがたまらない。
冷静、ときには冷酷な彼・彼女らには、ひとつの信念や理念「何事も合法に」というものが存在する。 純粋であるがゆえに、その矛盾を疑わない。 まっすぐな、まっすぐな青少年だと思った。
これは、そんなまっすぐな青少年が、どうしようもなく汚れた社会に飲み込まれようとするその堺で、 それでも手を汚すことを拒む心理を描いた物語だ。 社会の最後の「心」の砦を描いた物語だ。
…映画化したいなぁって思ったら、ドラマ化されてたのね。
2008年10月18日(土)
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