2001年10月22日(月) |
ほんとうのことのかけら |
さて、まずは 19 日の続きから。
わたしはアメリカの一般市民はたいていの場合、好きです。オープンだし、気さくだし、温かいし、パーティとか野球とか、みんなで集まって楽しもうとするところも、大好き。フランス人よりアメリカ人のほうが好きだな〜と思うことも多々あります。(フランス語では書けないセリフだな(苦笑))
アメリカ政府については...障害者支援政策の充実ぶりは素晴らしいと思う。 でも、外交政策は....。
タリバーンの人たちは、電気が通ってないからTVはない、小学校も出てない、そんな環境にいて、アメリカの一般市民とアメリカ政府の外交政策を区別できないのは、無理もないんじゃないかなと思います。だって、だれからも、理性的に物事を見て、判断することを教わっていないのです。それは彼ら1人1人の責任なのだろうか? (もちろん、幸いにして、わたしの家族や友人はNYでのテロの犠牲になっていないから、こんなことを書いていられるという自覚はあります)
ペシャワール会の中村医師の言葉 「アフガンに小麦をあふれさせること 。それが最大のテロ対策」 「2000円で10人家族が一ヶ月暮らせる」
こんなに貧しい人たちの頭の上から、爆弾を落とそうというのは、ずいぶん切ないことです。わたしの生まれ育った国はそれを支援すると言ってる。
オサマ・ビン・ラディン氏はいまではだれでも知っているように、昔アフガンでの対ソ連戦のためにアメリカが育てた戦士です。彼にとってのアメリカは、自分たちの理念を理解して支援してくれているのかと思ったら、イスラームを攻撃するイスラエルにも多額の武器、兵器、資金を提供していた国。民主主義を謳いながら、独裁的なサウジの王室とも仲良くしている国。要はなんの理念も持ちあわせず、状況を悪化させるために、より多くの殺し合いを続けさせるためにどんどん武器を送り込んでくる国に見えるのでしょう。
彼はサウジアラビア出身で、アフガニスタン人でも、タリバーンでもない。
あなたの家に、旧友がやってきて、あなたはもてなしている。そこに突然、外国人がやってきて、いまおまえの家にいるヤツは俺の家の息子を殺したから、俺はそいつを殺しに来たと言ったら、どう思いますか? まずは証拠を見せろ、というタリバーンの反応はしごく当然なように思えます。
「証拠がないなら、我が家の大切な客人を渡すことはできない」
客人をもてなすのが好きなイスラームらしい温かい言葉だと思います。相手は外国人であって、警察ですらないのです。手渡したらリンチで殺されるとわかっていて、昔からの苦楽を共にしてきた、幾晩も語り合った友人をあなたは渡すでしょうか?友人の言葉と外国人の言葉、どちらを信じますか?
それにタリバーンが「証拠を」というといつもアメリカはヒステリックに「話し合いはしない」というのです。NYのテロの実行犯は大半がサウジアラビア人で、アフガン人はいない、とのこと。自分たちはテロをやっていないのに、攻撃される。攻撃なんてされなくても、放っておいたら死んでしまうくらい貧しいのに。お金持ちらしいビン・ラディンの一派とタリバーンの一般の人たちは区別して考える必要がある。現地に行ったことがないわたしにとっては、しばしばごっちゃになってしまうのですが、でもやっぱりここは頭を働かせないといけない。
アメリカ軍などが投下する食料はたとえばビスケットにも豚の油がつかわれているかもしれないから、すべて集めて処分されていて、人々の口には入っていないそうです。
日本の支援はというと、
> アフガン難民への支援物資を積んだ自衛隊の輸送機がイスラ > マバードに到着した。日の丸のついたテントや毛布を > UNHCRに引渡し、滞在時間わずか2時間で帰国の途についた > とのこと。往路2泊3日もかけて、文字通り『日本の旗を見 > せに行った』ということでしょうか。
と、日・パ旅行社のサイトの緊急レポートのなかにありました。このことについてはまた明日以降、書きたいと思います。
最後にアメリカのこと。ほぼ日刊イトイ新聞のなかの翻訳前のアメリカというトピック(10月21日)には、日本の新聞には載らないアメリカのことが出ています。
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