Scrap novel
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「あれ?お兄ちゃん、キーボード買ったんだ?」 部屋に入るなり言うタケルに、ヤマトが笑って肩をすくめる。 「目ざといな」 「目につくもん。すごいね、キーボードも弾けるんだ」 「そんな得意でもねえけど。しかも、小遣い貯めて買った安物だし」 「ふうん。ね、ピアノの音も出る?」 「出るけど?」 「今度さ、音楽発表会があるんだよね。今、練習中なんだ」 「何、唄うんだ?」 「いつも何度でも」 「いつもいつでも?」 「ほら、千と千尋の・・・夏休み、一緒に観たでしょ、映画」 「ああ、あれか」 「面白かったね」 「そうだな」 「ちゃんと見てた?」 「見てたさ。すっげえ顔で驚いたり、笑ったりしてるおまえの顔」 「・・・もう」 そんなヤマトの冗談に、素直に真っ赤になるタケルが嬉しくて、 からかうのはやめられないなと、ヤマトが小さな声で呟く。 それは聞かなかったことにして、タケルはさっさと話題を戻す。 「でね。それ唄うから。・・・お兄ちゃん、弾ける?」 「ん? なんとかな」 答えて、キーボードの前に行くと、あっさりと両手で弾き始めた。 それに合わせて、タケルが唄い出す。
呼んでいる―胸ーのどこか奥で いつも―心踊るー夢を見たいー かなしみは数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える
タケルの澄んだきれいな声に、ヤマトが驚いたように振り返る。 そして、タケルの声に合わせて一緒に唄い出す。
海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから
唄い終わるなり、タケルが嬉しそうに拍手する。 「すっごい、お兄ちゃんとハモっちゃった」 「キー、高ぇ」 ちょっと苦しそうに笑うヤマトにタケルが頬を染めて、にっこりする。 片目をつぶって、悪戯っぽく言った。 「ティーンエイジウルブスの石田ヤマトさんと唄ってもらえて光栄デス」 「こら、そういうこと言うな」 人気者の兄を持つことと、それを独り占めしきれない自分の淋しさを茶化す ように言うタケルに、ちょっと怒ったようにヤマトがタケルを背中から抱き 寄せる。 「いっそ、兄弟デュオで、デビューする?」 「駄目」 「どうして」 「おまえに悪い虫がついたら困るから」 速攻で答えられて、なんだか笑ってしまう。 独り占めしたい気持ちは自分だけのものではないのだろうか? だったら、嬉しいんだけど。 「もっかい唄えよ。一回じゃ練習になんないだろ?」 「うん」 「合唱するんだよな」 「そうだけど」 「一人じゃ唄うなよ」 「どうして? そんなにヘタ?」 「ちがうよ」 「だったら、どうして?」 「・・・すっげえきれいな声だから。他のヤツに聞かせるのもったいない」 耳元で囁かれて、真っ赤になる。 「俺の前だけで唄えよ、な?」 口説き文句のように言われて、思わず笑ってしまう。 「じゃ、お兄ちゃんも、僕のためだけに唄ってよね」 タケルの言葉に、ヤマトは“ああ、わかってる”と言うと、 部屋の隅にあるベースを振り返りながら笑った。 「ってか、いつも俺は、おまえのためにしか唄ってないんだけどな」
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