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2007年04月30日(月) このままでは死んでしまう


あと1か月で四半世紀。うわぁぁ。無性に悩める年頃です。
今日はひさしぶりのともだちに会ってきました。いつもよくあそんでたけど今回は異例の正月ぶりでした。しばらく入院したり彼氏が宗教に走ったりで大変だったらしいです。そりゃ本当に大変だ。
彼女とはまさに十年来の友人なのですが、わたしも彼女も大変ひがみっぽいのでひさしぶりに会うと互いのひがみっぽさを確認することができて「わたし以外にもこんなにひがみっぽいひとがいるのね!」と互いに安心します。話の節々で「どうしてわたしたちってこんなにひがみっぽいのでしょうね!きっとうまれつきなのね!」と互いのひがみぶりを讃えあい、憂い合いました。
いや、しかし、ほんとうはふたりともひがみっぽくない人間になりたいのです。ひがみっぽさからの脱出はわたしたちの毎回の問題です。しかし治しかたがよくわかりません。治るのかもわかりません。ひがみっぽい人間に幸福は訪れない気がします。不幸になる準備が常に万端なので、ちょっとしたことで不幸に転んでしまうのだよ。

それから「このままではすぐに仕事がいやになって転職したり、特に何も得ないまままた転職したり、婚期を逃したり、あとになってやっぱりあの人と結婚しとけばよかったとか後悔したり、親がぼけてその世話に追われたり、卵巣が病んだり、副鼻腔炎が長引いたり、姉の子供をかわいがって金を貢いだり、オプションとして多重債務を抱えたり変な宗教に誘われたりカード破産したり、そんなことをしているうちに孤独と無念をつのらせながら死んでしまうわ!わたしたち死んでしまうわ!」というテーマで盛り上がりました(…)。うあぁ…。ほんとうにこのままでは絶対そういうサイクルになると思いますわたしの人生は。このままごろごろとそういう方向に転がっていかないためにはどうしたらいいのだろうか…わーぁわーぁ。そんなサイクルから抜け出した勇者がこの広い世の中にはいるはずなのだけど!

まあそんな感じで無駄に悩んで悩んで悩み抜いてますが、悩むのも趣味なので元気な証拠です。きっと。


あとバベルを見ました。いや〜アカデミー云々で騒がれる前から、ケイトブランシェットとガエル君が出るシリアス映画ということで楽しみにしてたんですけど、正直微妙…。
【以下ねたばれ毒系】
無関係そうな3箇所につながりがあるのはおもしろかったけど、期待していたほどでもなかったなぁ…。もっと結末で一気に判明してカタルシスとなるほどの衝撃を期待してました…(トリコロール三部作のラストとかプリートパルンの草上の朝食みたいなね〜)。
重くて暗いから考えさせられる映画、と言いたいところだけど、結局この映画が何が言いたいかもよくわからん。ばかだから「はい、こんなかんじ、じゃ、あとはじぶんで考えといてね」って言われてもよくわからんのよ。バベルの塔ってことは、人間の欲望と、言葉によるディスコミュニケーションが引き起こす悲劇……?確かにそういう話ではあるけど、でもそれを問題提起するような印象的なセリフも別にないしなあ。すくなくとももっと聖書を引用するなり何なりでバベルの塔をテーマにしてるってことをわかりやすくするべきだろうよ…。
モロッコ編・メコシコ編はそれなりにドラマチックでおもしろかったけど、日本編は繋がりも希薄だと思うし、存在の意味がよくわからない。欲望渦巻く都市の高層アパートって部分はいちばんバベルの塔を暗示してはいるけど、それ以外には特にないし。それにしてもチエコは吐き気がするほどの色情魔だなぁ…。点滅するライトもちょっと気持ちわるくなったけど、それ以前にチエコが気持ちわるかった…せめてパンツはいてくれ…。
他の登場人物も特に共感したり同情したりはなかったな…。基本的に登場人物みんな嫌な感じですよね…(ガエル君はかっこいいけど。あの目!)。「人間ってそんなもんだからありのままに暗い部分を描きました」といわれればそれまでなのですが、でも、やっぱ映画としては登場人物に同情できない、行動に納得できない、東京編にリアリティを感じない、メッセージもわかりにくいっていうんじゃ伝えたいもんも伝わらないのよね。
あと話の筋的に、メキシコ・モロッコ(加害者)は救いがなくて、アメリカ(被害者)はなんとか助かって、日本もまぁよくわかんないけど一応それなりに解決、っていうのはちょっとかなしかった。アメリカ映画め!



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