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♥ 新年会-2-(寂しさから得たもの)
恒例のランチを「新年会」と銘打っても いつもとなんら変わらないスタートでしたが メンバーの一人Uさんが この2月に転居される事になったので 急遽、壮行会となりました。 転居の理由は(私は事前に聞いていました) 喜ばしいものではなく 途中、涙ながらに話すUさんに 皆、何の言葉もかけられず シーンとしてお話を聞いていました。 このUさんと私は グループから離れた所で 10年程、かなり親しくしたいました。 子どもの状態が似ていた事 家が近かった事 そして 何よりも感性が一緒だったからなのです。 感性と言う点では 昨年の忘年会の帰りをご一緒したWさんも よく似ています。 そこで、波長の合うUさんとWさんを よく我が家にお招きして (2人共、義父母さんと同居のため) 3人でランチをした事がありました。 関係性としては Uさん=私=Wさんというもので ランチをするようになってからは尚の事 常に3人一緒でした。 3人一緒だと思っていたのです・・・私は。 ところがUさんは今回のランチの件で Wさんに参加の電話を入れていて それを受けたWさんはお餞別のプレゼントを 用意していたのでした。 その場で知った私の気持ちが 動揺しているのをハッキリと感じました。 人は常に新鮮な出会いを優先し 口当たりの柔らかな新しい人へと 引き寄せられて行きがちですよね。 10年という一区切りが大好きですし 年月をかける事で深い味わいが出て来る と、信じていましたが 10年かけても強い絆になるとは限りませんね。 ひょっとしたら それが人間の深さ・面白さなのかもしれません。 自分の幸せを求め続けるのが人間であり それを誰も止める事は出来ない事も 当然の権利だという事も分かっています。 考えてみれば Uさんとの出会いも Tさんという人を通じてのものでした。 いつの間にか Tさんを介さずに Uさんと親しくなっていたわけで 私自身がして来た事のリフレーンですね。 忘れ去られてしまう訳でも無いのに 必要とはされていない感覚を持つのでしょうね。 その人が幸せになってくれれば充分なのに その事を心の底から願い祈っていた筈なのに 何とは無しに置き去りにされたような 空しさと寂しさが去来して 雲をつかもうとするかのような欲望が 無私になれない気持ちを溢れ出させて 傷口に沈殿し始めて行く。 と、以前に書きました。 人は知らず知らずの内に 傷付け合いながら生きているのでしょう。 そして、その傷の感じ方の違いが 感性としてお互いを許容し合い 惹かれ合っているのかもしれませんね。 自己分析をしてみれば・・・ 心の何処かに寂しさが居座っていて 満たされない思いが少しあるのでしょう。 でも、うぇぶ日記を書くようになってから 自分を客観的に見られるようになり 動揺はしても書き捨ててしまえば 引きずらずに済んでいるようです。 ここ4〜5年で 私は大きく変われたと思いますが それは確実に良い方向へなので 心から楽しめる日が来ると信じています。
2005年01月20日(木)
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