同じ空の下で。
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2002年10月10日(木) |
F1界に浮上した馬鹿げた案。 |
今日は、書きたいことが珍しく2つもある。 さて、どーしたものか。 こんにちは。お久しぶりのたけです。
3日かそのくらい前の新聞にのった記事であるが。 F1の世界でハンディキャップ制が話題になっている。 それは、ポイントランキング首位のドライバーに、 2位以下とのポイント差と同じキロ数の重りを搭載して走らせるというもの。 である。
目的は明らかで、フェラーリの、シューマッハの独壇場に 待ったをかけるものであろう。
どうであろう。これ。 僕個人としては、まったく賛成しかねる。 間違いなく、純粋な競争基準から逸脱したものだと思うからだ。 強いものは強い。 それは、技術、精神、チームワークすべてが優れているからであり それにハンディキャップを与えるといったマイナスの思考がいただけない。
ちょっと前のことであるが、 日本のスキー選手がスキーワールドカップで恐ろしい程の強さを 誇った時期があった。 競技をすれば、日本人の誰かが勝つ。 そんな状況を、面白くないと思ったのは簡単に想像できるが、 国際スキー連盟なるものが、 スキー板の長さに関するルールを変更したのであった。 スキージャンプにとって、板の長さは勝つための重要なファクターであり、 そのルールは、間違いなく日本人にとって不利なものとなったのである。 以降、日本人が表彰台に登ることは希となってしまった。 技術がルールによって殺された一例である。
今回の、F1における強者にハンディキャップを与えるという案。 純粋に、スキーの話とは比較することはできないが、 強いものの技術を否定するといった面で似通ったところがある。
強いから、それを弱くするようにルールを定めよう。 そういった発想は、長い面で見ると間違いなく技術向上の妨げになるもの だと僕は思ってならない。 フェラーリにハンディを与えることで、一時的にレース自体は 接戦したエキサイティングなものになるのかもしれない。 しかし、アスリートが本来持っている技術力向上への欲求を妨げるものであり しいては、それがF1界全体の停滞、すなわち衰退に繋がるのではとさえ 思ってしまう。
強いものは、強い。
弱いものは、強いものに勝とうと技術を磨き、戦いを挑む。 強いものは、弱いものに負けまいと技術を磨き、常に勝者でいようと努力する。
それが、自然な競争原理だと僕は思う。
そして、弱いものが、強いものを「食った」とき、 強いものが、プレッシャーのなか勝ち続けるとき、 観客である僕らは、歓喜するのではないかと思う。
そこには、人為的な工作など必要ない。
ちなみに、書きたかったもう一つは明日。
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