霞的迷想



書くこと

2001年10月31日(水)

日記を書くのが苦手。だから多分文章を書くのは上手くない。
日記が上手な人は、それから文章がうまい人は、精神的な眼差しを保つことができるのだと思う。
精神的な眼差し……波長を合わせること。
うまい下手に関わらず、話を作る人には二種類あると感じる今日この頃。
頭のいい人は、「話を作る」……頭の中に設定を作り上げて計算して、物事を配置して物語を形作る、わりと日記が得意な人。
天然な人は、「話を掴む」……現実とは微妙にずれている可能世界にチューニングがあった瞬間、ふと、その世界を垣間見て……バラバラに見つけたその物語的な映像を書き記す、チューニングのずれた日記のような作業。世界設定は作るのではなくて「知る」ということ。ちょっとした知りたがり。
日記が苦手ということは、見たものを伝えるのがにがてということ。だからチューニングを探って「その世界」の続きを眺めても、うまく書き現せずに頭を抱える。それに、日記を書いている最中にも、別の空間を垣間見て気が逸れてしまうとなれば……結局は、精神的な眼差しが一定ではないこととほぼイコール、なのではないかと思ってみたり。
心理テストでも、手相でも、気分屋と分類されるのが私。そんな私が、計算され尽くした「話を作る」何ていうこと、できるはずがないんだ。

私はただ、何処ともしれない別の空間を眺めるだけ。

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