『シン・ゴジラ』ブームが続いておりますが、シンゴジが公開前は自衛隊が全面協力している映画なので、サヨクの人達がプロパガンダ映画だとか何かと五月蝿く言うのだろうと想像していたのですが、実際に映画を観てみると憲法9条があるから被害が拡大したという展開でもなく、憲法9条の危険性なんて主張も無くて、むしろ今ある憲法や法案と照らし合わせて、できる範囲の中でどうやってゴジラと戦うか試行錯誤する政府が出てくるだけでした。そして、映画が公開されるや観た人が自由闊達に感想を述べいているわけですが、自分の思想に絡めた評論も目立つようになってきました。特にサヨク思想の人達が悪い意味で一番目立っているのですが、プロパガンダ映画でも自衛隊賛美な内容でもなかったことから、その批評が、こんな有能な政治家や官僚が出てくるのがおかしいとか災害時に一致団結する日本人の気持ち悪さとかそういったものが多いです。作品には東日本大震災と原発事故が色濃く反映されているとはいえフィクションなのに、こんな世界気持ち悪いとか言って、とりあえずヒットしている映画を利用して日本や日本人を批判したくて必死だなぁと思うわけです。シン・ゴジラに出てくる日本人はファンタジー『シン・ゴジラ』は何かを語りたくなる映画ではありますが、思想の左右に関わらず政治や党派性に絡めた主張の押し付けを読んでいますと、特定のイデオロギーに支配されて純粋に映画を楽しめない可哀相な人アピールになっているだけで、どれもこれもその批評が本当につまらないし、『シン・ゴジラ』は特定の思想を露骨なまでにあぶり出す映画だと思いました。こういった人達こそ“虚構と現実”の区別が付いてないんじゃないのでしょうか。◆吉永小百合が「戦争反対を言えない空気」に危機感を表明し「憲法9条は絶対に変えさせない」と戦闘宣言(リテラ 8月15日)馬鹿馬鹿しくて記事を読む気にもなりませんが、去年の国会前で騒いでいたあれはなんだったんでしょうかね。今でも全国各地で「安保法案抗議集会」なども行われていますし、言いたい放題言ってるくせに、どこが「物言えぬ雰囲気」なのでしょうか。これからも空気なんて気にせず言いたい放題言えばいいと思いますが、この人達が感じている空気とやらは、ワンパターンな内容の自分達の主張に賛同しない人達が以前に比べて多くなったことを実感してのことなのでしょう。そして、何よりも以前は彼ら言論人などの一方的な言いっぱなしで済んでいたものが、ネットの普及によって事実誤認な間違った解釈やおかしな意見は反論されるようになった。それを「物言えぬ雰囲気になった」というのは、自分達への反論を封じ込めたいだけですし、自分達の言葉に説得力の欠片もないことを裏付けているだけ。