「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが死去 93歳(産経新聞 11月30日)「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの人気漫画家で、文化功労者の水木しげる(みずき・しげる、本名・武良茂=むら・しげる)氏が30日午前7時ごろ、心不全のため東京都三鷹市の病院で死去した。93歳。鳥取県出身。 11日に東京都調布市の自宅で転倒し、頭を打って入院していた。 大正11年、大阪で生まれ、間もなく鳥取県境港市に移った。早くから絵の才能を発揮し、13歳で油絵の個展を開き、新聞の地方版に「天才少年」と紹介された。 高等小学校卒業後、15歳で大阪の石版印刷会社に就職したが2カ月で解雇。美術学校に通った。18年に徴兵され出征し、激戦地ニューブリテン島のラバウル戦線でマラリアを発病、空襲で左腕を失った。21年に帰国し、26年から「水木しげる」のペンネームで紙芝居作家として出発し、32年に上京。39年、劇画誌「ガロ」の中心作家となり、40年から「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」を連載、代表作「鬼太郎」シリーズは「ゲゲゲの鬼太郎」と改題、43年にテレビアニメ化されて大ヒットし、世代を超える人気キャラクターを生んだ。 平成3年、紫綬褒章受章。8年、日本漫画家協会賞文部大臣賞、10年、児童文化功労賞を受賞。15年には、手塚治虫文化賞特別賞と旭日小綬章を受け、22年に文化功労者。妻の布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」を原案にして22年、同タイトルのNHK連続テレビ小説が放送され、人気を呼んだ。25年6月には『水木しげる漫画大全集』第1期が配本、現在は第2期が刊行されている。「日本人は、ねずみ男だ」と語った水木しげるさん(スポーツ報知 11月30日)日本人は、ねずみ男だ。アニメでも有名なロングセラー漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親である漫画家・水木しげるは、そう言い切った。ねずみ男は、お金が大好きで、ずるいが、どこか憎めない名脇役。戦前、戦中、戦後を生きてきた“妖怪の巨匠”が、キャラクターを分析、独自のニッポン人論を語った。妖怪と“共生”して85年。そんな水木に「妖怪の目から見た日本人」について語ってもらおうと問いかけると、「日本人そのものが妖怪だ」と言われた。しかも、日本人のほとんどが「ねずみ男」だという。 「ねずみ男というのは、何もない、金もないのに、生きていかないといけないという、庶民の代表ですよ。どんな時代にも対応できる。強いと言えば強いんですよ。これに似た日本人が8割近くいるんじゃないですか。パチンコ店をキョロキョロのぞくとみんなねずみ男風だ。興奮状態が伝わってくる」 漫画では鬼太郎が主役で、ねずみ男はあくまで脇役だ。「水木サン(水木は自身をこう呼ぶ)は、ねずみ男風なやり方で大衆の心を奪ったと思うな。というのは鬼太郎式な強い英雄は昔からいたから。ねずみ男を描いたことで、みんな共鳴したんですよ。私はこれが面白くて、これをいじくりまわしてきた。愛される、おもしろがらせる、というのはマンガにとっては一番。ねずみ男を発明して、水木サンは豊かになったんと違いますか」 水木が生まれたのは大正時代。そのころから日本人はねずみ男だったのだろうか。「江戸時代からねずみ男風なのはおったと思う。バカにされていた感じですよ」。「ゲゲゲの鬼太郎」では、ねずみ男は“360年以上生きている”という設定だが、江戸時代からの日本人像だ、というのだ。 年下の手塚治虫、石ノ森章太郎らと、日本漫画の礎を作った。「鉄腕アトム」、「仮面ライダー」を生んだ2人の天才に対して、水木は奇才と呼ばれた。「2人とも、徹夜を自慢していたけど、徹夜に殺されたようなもの。私は徹夜すると1週間動けなくなる。ベビーのころから眠りに弱かったから、長生きしてるんじゃないかな。眠りこそ健康のもと。だから水木家は病気をしない。だいぶ殴られたけど、軍隊でも人より1秒でも長く寝ていたから。顔が航空母艦みたいになるほど長く寝てるから元気ですよ。空母ですから、力強いですよ」 21歳のときに召集令状を受け、南太平洋の激戦地、ニューブリテン島(ラバウル)に出征。空爆で左腕を失った。戦前、戦中、戦後を生きてきた男は「日本人というのは、理性的というより、感情的な民族と違いますか。興奮して騒ぐ。善良だけど、あくせくし、あわてる。でも無駄なエネルギーだった、と戦争に負けてから知った。そして平和になった」と分析する。 ねずみ男のように、どこにでも順応できた。戦地ラバウルで、現地のトライ族と仲よくなった。「畑をやるし、家も建ててやる、女房も世話するから残れって。向こうにいれば王様みたいな生活が約束されていたけど、残っていれば、鬼太郎もねずみ男も生まれなかったでしょう」ラバウルとは今でも交流があり、「海外に行くと、地元の妖怪が私に飛びついてくる」と笑う。 これまで約60か国を訪れ、「ねずみ男は世界中のどこにでもいる」と確信するようになった。水木本人が知らない間に、手塚治虫の名作「火の鳥(鳳凰編)」では、ねずみ男がひとコマだけ、勝手に登場していた。「そうなの? ずうずうしいというか。生命力があるというか」。「ミッキーマウス」で知られるウォルト・ディズニーは、人気が出る前には、ねずみばかり描く漫画家として、米国では「ねずみ男」と呼ばれていたという“都市伝説”も。「なるほど。そうですか。やっぱり多少、似たところがあるんですね。考えてみればミッキーマウスも描き方が違うだけだからな」 最後に、水木こそ“究極のねずみ男”なのでは、と聞いてみた。「ねずみ男はあくまでも部下。水木サンは妖怪でも親分の方だからね。子泣き爺(じじい)みたいな存在だな。あんまり何もしないのに、何かしたような顔をしている。10年来、過去の作品をいじくってるだけで、何にもしてないんだから」あくせくと動き回り、“ねずみ男道”を進んでいけば、理想の境地、子泣き爺になれるかもしれない。(敬称略) ◆水木しげる(みずき・しげる) 本名・武良(むら)茂。1922年3月8日、大阪市住吉区生まれ。生後1か月から、鳥取県境港市で育つ。境尋常小時代に自分の名前を「げげる」となまってしゃべったことから「げげげ」と呼ばれる。日本大学大阪夜間中学3年時の43年にニューブリテン島(ラバウル)に出征。終戦後、武蔵野美術学校卒業。50年に神戸市の水木通りにアパート「水木荘」経営。翌年、阪神画劇社で紙芝居作家となり「空手鬼太郎」発表。57年、上京し、貸し本漫画家に転身。処女作は「ロケットマン」。60年、「墓場鬼太郎」発表。68年、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」開始。91年、紫綬褒章受賞。96年、文部大臣賞受賞。03年、旭日小綬章受賞。世界妖怪協会会長。家族は布枝夫人と2女。 ◆ねずみのキャラクター 十二支のトップバッターでもあるネズミは、漫画の主人公になりやすく、ミッキー・マウス、トッポ・ジージョ、ジェリー(トムとジェリー)、ガンバ(ガンバの冒険)、ピカチュウ(ポケットモンスター)など人気者が多い。愛らしさとは無縁のねずみ男は異質な存在といえる。 ◆ねずみ男 本名はペケペケ(南方語で大便を意味する)。人間界と地獄の中間出身の半妖怪で、年齢は360歳以上。妖怪大学怪奇学科(または不潔学科)卒。なまけ博士号取得。肩書は長寿教教祖、鬼太郎マネジャーなど無数。ゲゲゲの鬼太郎に対して、ビビビのねずみ男と言われる。主役作は「ねずみ男の冒険」(ちくま文庫)ほか。160センチ、49キロ。家族は母と妹(ねずみ女)。妖子との結婚歴(詐欺被害)あり。天敵はねこ娘。実写版「ゲゲゲの鬼太郎」では竹中直人(85年フジテレビ)、大泉洋(07年松竹)が演じた。午後一時のNHKニュースで速報が流れ突然の訃報を聞いて大変驚きました。11日から入院しているなんてことさえ知りませんでしたから。水木プロダクションのニュースによると 2015年11月30日 訃報11月11日に自宅で転倒。頭部打撲による硬膜下血腫で緊急手術を受け一時回復していたが、11月30日未明に容体が悪化。多臓器不全により逝去。とのことです。夏にテレビで楽しそうに「150歳まで生きる方法を考えてる」って言ってましたし、水木御大なら100歳までは確実に生きると思っていたこともあり、敬愛する漫画家の水木御大の訃報にもちろん心にぽっかりと穴が開いたようで寂しさや悲しみもあるのですが、子供時代にアホなのか天才なのかと言われたほど自由奔放に過ごし、戦争では総員玉砕せよと命じられた南方ラバウルでの地獄のような日々を送り、爆撃で左手を失い、何度もマラリアに襲われ死の淵をさまようも、ギリギリのところで絶対に助かる超が付くほどの強運の持ち主で、終戦後、日本へ帰国し、いろいろな職業を転々とし、紙芝居作家、貸本作家時代の餓死寸前の赤貧生活、雑誌連載から目の回るような忙しさとなった昭和40年代、土地土地でひっそりと語り継がれるだけだった妖怪にも形を与えを数多くの妖怪を身近な存在として広く定着させ、そして、幸福と健康のために好きなことだけをやろうと考えて、マンガを描くペースを落とし、世界中の妖怪と不思議を探し求めて旅する自由奔放な生活を楽しむ現在に至るまで壮絶な人生だったのに、それを「屁のようなもの」と言い切っていたように生前の言動を見ていますと奇偉人で生と死を超越したような不思議な魅力のある人で、マンガを通して私たちに目ない世界を教えてくれたように、人間界では多くのことを経験し地球上のほとんどの国も取材して、この世でやることをやりつくしてしまったので、子供の頃からずっと興味を持ち続け探求していたあの世の世界に長期の取材旅行に行かれたのだ「あの世へ旅立った」という言葉のほうがピッタリな感じもして、生前に「私は人間3割化け物7割で生きてます」と言っておられたように悲しみ以上に「ついに完全なる妖怪になられたのだ」という不思議とそう感じる気持ちもあります。生まれたときから心臓病な私は子供心に死に対する恐怖がありましたが、生あるものいずれ死がくるものだと死に対する恐怖心が無くなったのも、見えない世界や暗闇の中に何か存在する気配を楽しむことや、妖怪やお化けや幽霊の魅力を知って好きになったのも自然に対する畏怖や敬うということを教えてくださったのもすべて水木御大のおかげです。水木しげる漫画大全集を全巻予約し毎月届けられ購読していますが、ゲゲゲのみならず幅広いジャンルの水木先生の作品は哲学に近いものを感じ取って今は子供のとき以上にその魅力にハマッています。水木しげる御大、魅力的な作品を数多く残してくださり本当にありがとうございました。あの世でも好き放題楽しんで創作に励んでくださいね。2年前に観光で行った調布で奇跡的にお会いできたことを宝物にして、2013年12月28日(土) 調布での出来事。 私もいつかあの世へ行くことになりますが、そのときに新作を読めることを楽しみにしています。水木先生の訃報、半日どころか数時間で完全に大喜利モードになってて、しかもそれが別に不謹慎な雰囲気になる訳でもなく「あちらへの取材旅行、行ってらっしゃい!」というムードで包まれてるのは本当流石の人柄だし、死して尚みんなに笑顔を提供できるって常人には中々できる事じゃないから凄い。— 磨伸映一郎@水曜(東)A39b (@eiitirou) 2015, 11月 30 水木しげる先生はお亡くなりになられたのではなく次は妖怪として生を送るのだという認識ができあがりつつあるTLを見てると神話の神々や聖人はこうやって産まれたのかと思えてくるので今恐らく私は人びとの間に一柱の神が誕生した瞬間に立ち会っているに違いない— 葵絵 梓乃 (@aoieshino) 2015, 11月 30
水木先生の訃報、半日どころか数時間で完全に大喜利モードになってて、しかもそれが別に不謹慎な雰囲気になる訳でもなく「あちらへの取材旅行、行ってらっしゃい!」というムードで包まれてるのは本当流石の人柄だし、死して尚みんなに笑顔を提供できるって常人には中々できる事じゃないから凄い。— 磨伸映一郎@水曜(東)A39b (@eiitirou) 2015, 11月 30
水木先生の訃報、半日どころか数時間で完全に大喜利モードになってて、しかもそれが別に不謹慎な雰囲気になる訳でもなく「あちらへの取材旅行、行ってらっしゃい!」というムードで包まれてるのは本当流石の人柄だし、死して尚みんなに笑顔を提供できるって常人には中々できる事じゃないから凄い。
水木しげる先生はお亡くなりになられたのではなく次は妖怪として生を送るのだという認識ができあがりつつあるTLを見てると神話の神々や聖人はこうやって産まれたのかと思えてくるので今恐らく私は人びとの間に一柱の神が誕生した瞬間に立ち会っているに違いない— 葵絵 梓乃 (@aoieshino) 2015, 11月 30
水木しげる先生はお亡くなりになられたのではなく次は妖怪として生を送るのだという認識ができあがりつつあるTLを見てると神話の神々や聖人はこうやって産まれたのかと思えてくるので今恐らく私は人びとの間に一柱の神が誕生した瞬間に立ち会っているに違いない