朝日、池上彰氏コラム一転掲載…「判断に誤り」(読売新聞 9月4日)ジャーナリストの池上彰さん(64)が、朝日新聞に連載中のコラムで慰安婦報道を巡る朝日の検証記事を取り上げようとしたところ掲載を拒否された問題で、朝日が一転して4日朝刊にコラムを掲載した。 問題になったのは、朝日を中心に各紙の記事を批評する月1回連載のコラム「新聞ななめ読み」。 池上さんによると、3日になって、朝日から「判断に誤りがあった」などと釈明する電話があり、コラムを掲載することが決まったという。4日の紙面では、掲載拒否に関する朝日の見解と、池上さん自身のコメントも掲載されている。 コラムは8月29日の朝刊に掲載予定だったが、池上さんが、朝日の慰安婦報道を検証した特集記事について「内容が不十分」などと指摘したところ、掲載直前に朝日から「掲載できない」との通告があったという。 池上さんは、掲載を拒否された時点で朝日に連載の中止を申し入れており、今回の掲載は認めるものの、「今後については白紙」としている。 池上さんは読売新聞の取材に対し「掲載を拒んだことが誤りだったと認めること自体はよいことだが、掲載を続けるかは今後話し合って決める」と話した。 朝日新聞は3日夜、公式ツイッターで「掲載を見合わせていたコラムは明日の朝刊に掲載されます。読者のみなさまや池上さんにご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げます」と謝罪した。(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証(朝日新聞 9月4日)過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか。 朝日新聞は、8月5日付と6日付朝刊で、「慰安婦問題を考える」と題し、自社の過去の慰安婦報道を検証しました。これを読んだ私の感想が、冒頭のものです。 6日付紙面で、現代史家の秦郁彦氏は、朝日の検証について、「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」と書いています。これは、その通りですね。 しかし、今頃やっと、という思いが拭い切れません。今回の検証で「虚偽」と判断した人物の証言を掲載してから32年も経つからです。 今回、「虚偽」と判断したのは、吉田清治氏の証言。氏が自らの体験として、済州島で200人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」などと証言したと朝日新聞大阪本社版朝刊が1982年9月2日に報じました。その後も朝日は吉田氏に関する記事を掲載しました。 これについて今回、「読者のみなさまへ」と題し、「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」と書いています。裏付けできなければ取り消す。当然の判断です。 ところが、この証言に疑問が出たのは、22年前のことでした。92年、産経新聞が、吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。 こういう記事が出たら、裏付け取材をするのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が「吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と検証記事は書きます。この時点で、証言の信憑(しんぴょう)性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。 検証記事は、「慰安婦」と「挺身隊(ていしんたい)」との混同についても書いています。「女子挺身隊」は、戦時下で女性を労働力として動員するためのもの。慰安婦とは別物です。91年の朝日新聞記事は、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じたものだと認めました。 これについて「読者のみなさまへ」というコーナーでは「当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と書いています。 ところが、検証記事の本文では「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません。 今回の検証特集では、他紙の報道についても触れ、吉田氏の証言は他紙も報じた、挺身隊と慰安婦の混同は他紙もしていたと書いています。問題は朝日の報道の過ちです。他社を引き合いに出すのは潔くありません。 今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです。 朝日の記事が間違っていたからといって、「慰安婦」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。 でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか。■池上さんと読者の皆様へ 今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします。■池上さんのコメント 私はいま、「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。池上彰氏のコラムですが、朝日新聞を罵詈雑言でボロクソに批判しているわけでもなく、謝罪がない検証が不十分など誰しもが思うであろうことを書いた至極真っ当な意見で、なぜこれを拒否したのか逆に不思議なくらいです。左翼特有のプライドの高さから批判されることを嫌うあまりに過剰反応になり、掲載拒否をしたら週刊誌のみならず他紙やテレビニュースでも報道され炎上を招いて、掲載拒否から一転し掲載する事を決めたことで、返ってコラムに注目が集まり謝罪や検証が不十分という朝日新聞が隠したかったことが目立ってしまったというのは皮肉なことです。また、先週、朝日新聞バッシング特集を組んだ週刊文春と週刊新潮の広告を掲載拒否してこれも返って注目を浴びる形になったわけですが、今週は2誌の朝日新聞バッシング特集見出しの一部黒塗りで掲載しました。例えば、週刊新潮広告にある売国の文字を塗りつぶして載せるなら、先週の文春の売国奴も黒塗りで掲載すればいいだけの話しで、一時掲載を見送った池上彰氏のコラムといい朝日新聞の判断基準が分かりません。この対応のちぐはぐぶりは余裕のなさの表れなんでしょうか。コラム掲載拒否については朝日新聞社の記者のほとんどが、他紙やテレビの報道によって知ったと憤っていましたが、この掲載拒否と一転して掲載を誰が決めたのか、これも検証が必要なのではないでしょうか。ただ、この検証も慰安婦虚偽のように32年後になるかもしれませんね。そして、朝日新聞はコラム掲載を一時見送ったことに関して、>池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします。としていますが、32年間も虚偽と分かっていながら放置してきた慰安婦の捏造報道に関して、読者のみなさまに詫びや申し訳ない気持ちはないんでしょうかね。新聞社にとって捏造をするというのは、信用や信頼といったジャーナリズムの根幹に関わる重要な部分なのですから、内部のそれこそ若手記者から社の対応に批判があってもいいものなんですが、それすらありません。池上彰氏のコラムとどっちが重要やねんって話しですよ。朝日新聞 木村伊量社長のメール公開(週刊文春 9月4日)「慰安婦報道検証記事」の余波で揺れる朝日新聞の木村伊量社長(60)が全社員向けに綴ったメールの内容が明らかになった。《長年にわたる朝日新聞ファンの読者や企業、官僚、メディア各社のトップ、ASA幹部の皆さんなど多くの方から「今回の記事は朝日新聞への信頼をさらに高めた」「理不尽な圧力に絶対に負けるな。とことん応援します」といった激励をいただいています》(以下、《》内は木村氏のメールより) この文章は朝日新聞社内専用ホームページ「風月動天」に、ひと月に一度アップされるもの。同ページは朝日新聞社外の人間には閲覧不可能。また他メディアに内容が漏れないよう、「閲覧する際には、個々人のパスワードを打ち込まなければならず、誰が印刷したかまで、会社側が把握できる」(現役社員)という。 今回、「週刊文春」はメール全文を入手。そこには、《「慰安婦問題を世界に広げた諸悪の根源は朝日新聞」といった誤った情報をまき散らし、反朝日キャンペーンを繰り広げる勢力に断じて屈するわけにはいきません》などと記されている。 また、産経、読売など他紙の報道で「一時退避」を「撤退」とミスリードした疑惑が明るみに出た「吉田調書」報道についても触れており、《朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることがなかったかもしれない衝撃の事実の連打で、これぞ価値ある第一級のスクープ》と自賛。 朝日新聞は近々、「吉田調書報道」の検証記事を作る予定とされており、木村社長の対応が注目される。社長のメールがまるで北朝鮮や中国のようですね(笑)