嘉田由紀子知事に批判相次ぐ 辞職勧告の動きも「任期満了まで全うしたい」(スポニチ 12月19日)滋賀県議会は19日の本会議で、嘉田由紀子知事ら執行部に対する一般質問を行った。嘉田氏が日本未来の党代表を兼務することで「知事の職務に支障を来す」と批判が相次いだのに対し、嘉田氏は「地方から国政を変えることは滋賀の県民益にもつながる。任期満了まで知事の職務を全うしたい」と理解を求めた。 一部の会派内では、答弁次第で辞職勧告決議案や不信任決議案の提出を検討するべきだとの声も上がっている。 議会では衆院選期間中、党代表として頻繁に上京した上、各地での応援演説のため県庁を不在にしがちだったことを問題視する質問も出た。嘉田氏は「今後は電話やメールを使い、政務で頻繁に東京へ行くことはない」と釈明に追われた。 19日午前は自民系会派の小寺裕雄議員と地域政党会派の清水鉄次議員の質問に答えた。 一般質問は19、20両日行われ、計14人が質問する。少なくともうち9人は、兼務の是非を含め、衆院選後の政治姿勢をめぐって嘉田氏の見解を求める予定だ。<滋賀県議会>嘉田知事ちぐはぐ答弁 党首と立場使い分け(毎日新聞 12月19日)批判を浴びている党首兼務について「ゼロから9議席と、一歩を踏み出すきっかけを作れた」と改めて党首の続投を表明し、公務への影響も否定した。未来が掲げる「脱増税」で、消費増税分の地方配分を評価していた過去の発言との整合性をただされ、嘉田知事は「知事としては評価しているが、税制に関与できる国政政党としては『脱増税』の方向を示した」と答弁。佐野高典議長から「知事の立場と党首の立場がこんがらがっている。整理を」と注意された。「めちゃめちゃだ」「二足のわらじがおかしいんや」などとヤジも飛んだ。ゼロから9議席じゃなくて61議席からの9議席だろーが。それに知事の立場では増税容認で国政では増税反対では整合性が取れてない立場によってコロコロ意見を変えるなんて、ただの嘘つきですよ。◆民主惨敗でも焼け太りする輿石幹事長の厚顔なる野望(週刊文春 12月19日)衆院選で惨敗を喫し、政権を失った民主党。「A級戦犯」の野田佳彦首相をはじめ、党勢凋落の共同責任を負う党幹部たちが政治的影響力を失う中、ただ1人“焼け太り”しているのが輿石東幹事長だ。 衆院選中は、地元の山梨にこもりきり。数少ない選挙応援では、藤村修官房長官の名前を「イソムラ」と間違えて連呼し、周囲をあきれさせた。選挙の責任者であり、ナンバー2でもある幹事長は引責辞任することになるが、民主党参院関係者はこう明かす。「輿石さんは表向き神妙にしているが、側近には『解散に反対した俺が戦犯扱いされる理由はない。責められるべきは独断専行で解散を強行した野田首相と、協力した岡田克也副総理や安住淳幹事長代行たちだ』と不満を漏らしている。前々から辞めたがっていた幹事長職は返上しても、謹慎するつもりは全くない」 幹事長は辞めても、参院民主党のトップである議員会長職は譲らず、ポスト野田体制でも首脳陣の一角を占めるだろうという見立てである。辞めていく野田首相に付き合っている暇などないという心境のようだ。 確かに、衆院で中政党に転落した民主党にとって頼みの綱は参院。最盛期より所属議員は20人以上減ったが、それでもなお88議席を有する参院民主党は第1党だ。日銀総裁の同意人事などで、ほかの野党とうまく連携すれば、政局の主導権を握ることも可能だ。参院各党と太いパイプを持つ自分以外に、司令塔が務まる人間はいないという自負が輿石氏の背中を押しているようだ。 また、衆院で惨敗したことで、より参議院の発言力が増し、「野田氏の後継代表も参院を大事にしないと党運営ができない」(同前)ことになり、参院を束ねる輿石氏の影響力が強まることになる。「落選した人には申し訳ないが、参院側は『参院選では振り子の論理が働く。かえって戦いやすくなった』と考えている。国会で存在感を示し、好感度の高い新代表を担いで参院選に臨めば、自民と互角以上の勝負ができるというのが輿石さんの読みだ」(同前) 輿石氏の目標は、参院選後も民主党が第1党の座を守ること。議長は第1党が出すのが慣例で、自分に三権の長のイスが回ってくるという計算からだ。惨敗に打ちひしがれる首相を尻目に、民主党の“子泣き爺”はちゃっかり机の下でそろばんを弾いている。輿石に限らず党が危機的状況に陥っても責任のなすり合い。やっぱメンタルが中国や韓国にソックリですよね民主党って。「解散がこの時期だから負けた。民主党の政策が浸透していなかった。」と、落選した城島財務相も会見で恨み節全開でしたが、民主党の政策やこれまでの行いの数々が浸透していたからこそ、この大惨敗だったわけであって、逆転満塁ホームランを打てるような政策すら誕生させる強さも無いし、解散が来年になっていたとしても惨敗は確実だったことでしょう。それに、もし来年の夏に衆参同時に選挙にしていたら、参院の民主党まで惨敗していたことでしょうから、 揺り戻しに賭けて野田首相は衆院の解散を早めたのではないでしょうか。