尼崎連続変死事件が報道されるようになって、しばらくは主犯格の角田美代子被告の顔写真すらメディアの報道に出てこなかったので、何で顔写真が出てこないの?と疑問に感じてから、しばらく後に写真が出てくるようになったのですが、なんと、その写真の人物は事件と関わりのない別人だったという驚くべきニュースが。美代子被告と別人の顔写真、新聞・TVに掲載 尼崎変死(朝日新聞 10月31日)兵庫県尼崎市の連続変死事件で、複数の新聞やテレビで角田(すみだ)美代子被告(64)=傷害致死罪などで起訴=として掲載、放送された顔写真が、事件とは無関係の尼崎市内の50代女性の写真だったことがわかった。女性は30日夜、報道各社に対し、顔写真を使用しないよう要請した。 朝日新聞は同じ写真を入手していたが、美代子被告ではない可能性があったため、紙面に掲載していない。 女性と、女性から相談を受けた弁護士によると、23日付読売新聞の記事やその後の読売テレビの番組などを見て、自分の写真が使われていると気づいたという。ずいぶん前に、火事か事故かは忘れましたが、幼稚園児が亡くなって、亡くなった園児としてニュースで紹介していた写真が、同じ幼稚園に通っている別の園児だったということがあって、キャスターが謝罪しているのを観た記憶があるのですが、最近も滋賀大津の虐め事件で、無関係の人の写真が加害者の親族としてネットに出回っているのをマスメディアは批判的に取り上げていましたが、マスメディアも同じようなことをやってしまっているわけです。ただ、ネットなら自分から情報を探さないといけないので、興味の無い人は嘘の情報に触れずに過ごせますが、新聞やテレビの報道は一方的で、しかも毎日繰り返し報道されるわけですから、その日数だけ否が応でも人の目に触れる機会が増幅され記憶に刷り込まれます。ですから、マスメディアは1回限りの謝罪で終わらず、別人の顔写真報道、メディア各社がおわび 尼崎変死事件(朝日新聞 10月31日)せめて一週間は、この事件を伝える度に訂正と謝罪報道も繰り返すべきではないでしょうか。また、この件に関しては夕刊フジの報道で興味深い記述がありました。美代子被告は“おばけ” 取り巻きは“おばけ軍団”住民が恐れる角田ファミリー(夕刊フジ 10月24日)「あれ、ホンマに本人の写真か? 全然顔が違うけどなぁ…」 先週末、テレビが一斉に報じた角田被告の近影。これを見た顔見知りは一様に首をひねった。 「20年ほど前の息子の入学式の時の写真で、本人(角田被告)の名前も記されているんで間違いはないのですが、(いまの姿とは)あまりに似てなく否定する人が多かった。一部の報道機関は公表をためらったほどです」(地元紙記者) 複数の関係者によると、普段から角田被告は写真を撮られることを極端に嫌がっていた。地元の知人(52)は「飲み屋で一緒になり『みんなで写真撮ろうか』ってなった時も、『私はええ。絶対写さんとってや!』とものすごい剣幕で言われたのを覚えてる」と証言する。 素性を隠そうとする行動はこれに留まらない。 赤の他人だった李正則受刑者(38)=ドラム缶詰め遺体事件で実刑確定=をいとことして迎え入れたように、複数の人物と養子縁組を繰り返して戸籍を複雑にし、本籍地も頻繁に変更。自分の名前もコロコロと変えたという。北朝鮮は工作員が拉致した人物に成りすまして、日本や韓国で多くの工作活動を展開していたことが頻繁にありました。この事件に直接、北朝鮮が関わっているとは思いませんが、(写真を撮られるのを嫌がったというのは気になる部分ですが。)在日韓国朝鮮人による戸籍乗っ取り事件なんて、たまに報道されているように、ここまで来ると、逮捕された角田美代子被告は別人による成りすましで、本当の角田美代子が死んでいたとしても驚きませんが、不思議なのは、別人の顔写真が連日報道されているのに、そのことに気づいているであろう警察が否定しなかったことです。警察が劣化しているのか、それとも・・・。警察もマスメディアも他人には「ゴメンですむか!」と言いながら、自分達はゴメンで済まして終わりですから酷いもんですが、これまで報道していたのは別人の写真であったということを理解してもらうためにも、また別人の顔を記憶から消し去ってもらうためにも、オウムの菊池直子被告や高橋克也被告が逮捕後に警察が今現在の姿を撮影した写真を出したように、本当の角田被告の写真をマスメディアに提供することが、一番手っ取り早く分りやすい訂正になると思いますし、また、写真が出ることによって、新たな情報が集まり捜査に役立つ可能性があるかもしれません。それにしても、この事件に関しては不可解なことがいっぱいですね。角田美代子被告の実弟がグリコ森永事件とも関わりがあると今週の週刊文春に掲載されていたように、この事件は奥が深そうです。 角田美代子被告のいとこ李正則は韓国籍を隠して角田姓で報道していたり、マスメディアはタブーに触れるのを恐れて、ぼやかした報道に終始しているんじゃないかと勘繰ってしまいそうになります。