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もくじ過去未来

2011年04月11日(月) 今を生きるということ。

東北地方大震災から1ヵ月が経過しました。

被災地では、津波の被害の大きさ、

そして、大きな余震が何度も発生し、

人の心も町も復興へ歩み出すというところにさえ至っていません。

そして、原発事故も一進一退の攻防で予断を許さず、

福島や関東のみならず国民全体の復興へ歩もうという意志に不安の影を落としています。

映像であっても充分に感じられる津波の恐ろしさと、残した甚大な被害の爪後、

多くの人や動物たちが恐怖と苦しみの中で命を失った無念さと、

津波によって最愛の人や友人を亡くされたり、

生まれ育った町が破壊されるのを茫然と眺めるしかできなかった

残された被災者の心の傷の深さと、

被災地で、身元不明者の捜索作業にあたられる自衛隊員の精神的負担、

この先、こういった方々の精神的ケアと、

何もかもが無くなったかのような甚大な被害から、

どうやって復興が出来るのだろうかという先の見え無さ、

また、「国民の生活が第一」「友愛」「最少不幸社会」などと謳いながら、

被災者への支援の動きが鈍く、

まったく思いやりや愛を感じさせない政府への悔しさと憤り、

本当に気分が沈んでいきます。

震災後、被災していなくてもテレビで被災地の映像を見てPTSDになったり、

鬱の人でも症状が重くなったという報告もありました。

心身ともに良好な状態の人でも地震の映像を見るだけで精神的ダメージがキツイのですから、

鬱病を治療中の方なら、そのダメージは倍になるんだろうなと感じます。

また、神戸で阪神淡路大震災を経験した人も当時の記憶を思い出し、

体調を崩したり不眠の症状を訴えるなど心身を病む人が増えているそうで、

神戸で被災した私も、自分が直接経験した時の当時の気持ち以上に、

東北の震災のほうが精神面でショックが大きく、

震災後の1週間あまりは食欲も落ちましたし、食べてても気分が悪くなってきました。

睡眠も浅くなり、今でも夜中によく目が覚めます。

被災地以外の人が頑張って、被災地をサポートしなければダメだと言い聞かせても、

映像を見る度、被災者の方の体験を聞いたり読んだりするたび打ちのめされそうになります。

ただ、震災によって大切なことも思い出しました。

震災に遭うと、

例えば、スイッチを入れると電気が点く、

蛇口をひねれば水が出る、

ガスでお湯が沸かせたり料理が作れるなど、

毎日、当たり前だと思って何も感じなかった便利な生活が、

本当は、多くの人の努力によって、それが成り立っていて、

他にも人の優しさや人との絆、

美味しいものが食べられるということ、

楽しいものを見たり聞いたりできること、

季節の変化を感じられること、

一日を何事もなく平平凡凡と無事に過ごせるということ、

そういう当たり前のようになってしまって、

日常生活の中で何も感じなくなってしまっていたことが、

実に幸せで素晴らしいことだったかということを痛感いたします。

阪神淡路大震災から16年経って、

そういう気持ちが薄れていましたが、

東北地方で被災された人が、ライフラインの復旧によって、

ようやく自宅でガスが使えるようになったという報告や、

避難所で生活する人が、ボランティアの炊き出しによって、

久しぶりに温かいものが食べれたと喜ぶ姿をテレビで見ると、

この大切な気持ちを改めて思い出しました。

そして、人は生まれた瞬間から死に向かっています。

その死は、どんな形で訪れるかは分かりません。

例えば、病気によって余命を宣告されたのなら、

やり残したことはないかを考えたり、やりたかったことをやってみたり、

死に向けての心構えや準備もできますが、

病気以外にも災害や事件や事故にあって突然にということもあります。

どのような形で死を迎えても後悔がないように、

一日一日を大切にして、出来るだけ悔いの残さぬよう生きるようにする。

これが一番、大事なんだということも改めて感じました。

「日々に感謝し毎日を精一杯に生きる」この気持ちを忘れず、

まだまだ辛い状況の中にいて途方にくれそうになりますが、

国民一丸となって、この試練に立ち向かいましょう。

戦争や原爆や震災で何度打ちのめされても

上を向いて立ち上がり、復興してきました。

今回の国難だって前より強く輝かしく復活できます。

日出づる国の日本なのですから。









名塚元哉 |←ホームページ