大正8年、中国・福建省の漁民31人が尖閣諸島魚釣島で遭難救助された際、中華民国駐長崎領事から玉代勢孫伴氏らに送られた感謝状(仲間均著「危機迫る尖閣諸島の現状」より)中国が認めた日本帝国八重山郡尖閣列島 国を憂い、われとわが身を甘やかすの記16日付の米紙ワシントンタイムスでは、1969年中国政府が作成した尖閣諸島周辺海域が日本領であることを示す境界線入り地図を掲載して、現在の中国の主張と矛盾していると伝えています。http://www.washingtontimes.com/news/2010/sep/15/inside-the-ring-145889960/(washingtontimes 9月16日)他の資料・1953年(昭和28年)1月8日:中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』が、 「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題した記事を掲載。 尖閣諸島を日本名で「尖閣諸島」と表記し、琉球群島(沖縄)を構成する一部だと紹介する。 ・1958年(昭和33年)11月:北京の地図出版社、『世界地図集』発行。 尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。 ・1965年(昭和40年)10月:中華民国国防研究院、『世界地図集第1冊東亜諸国』初版出版。 尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。 ・1970年(昭和45年)1月:中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版) において尖閣諸島は日本領として扱われ、「尖閣群島」という日本名で表記されている。 ※1969年および70年に行なわれた国連による海洋調査で、推定1095億バレル という、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告 1971年12月30日:中華人民共和国が外交部声明という形で、初めて尖閣諸島の領有権を主張。