昨日の話なのですが、午後にテレビをつけると『ミヤネ屋』が放送されていまして、数年前も話題になった「水は答えを知っている」というトンデモ科学が紹介されていました。簡単に説明しますと、水に「ありがとう」など美しい言葉が書かれた紙を見せると綺麗なカタチの結晶になり、逆に「ばかやろう」など汚い言葉が書かれた紙を見せると崩れたカタチの結晶になるという、まあ、ちょっと聞いただけでも胡散臭いと分かるものなんですが、そのトンデモ科学が、学校の道徳教育に一時期使われるも、信憑性もなく、ここ数年は下火になっていたのに、今年の2学期になって、再び小中学校の道徳教育で頻繁に使われだしたと。どうやら、夏に全国の女性校長先生が集まる集会があって、そこで、そのトンデモ科学を主張する先生が講演を行ったそうで、それにすっかり騙されて感動した校長先生が、学校で生徒に紹介しているということらしいのです。校長にもなって、こんなのに騙されるなんてどうなんでしょうか?だいたい、どうやって目や脳がない水が言葉(文字)を判断できるというのでしょう。仮に、何かを認識して判断する能力が水に備わっていたと過程しても、私たちが言葉を覚えていったように、「ありがとう」は美しい言葉で「ばかやろう」が汚い言葉と、前もって教えておかない限りは識別できないはずです。それに、文字は言ってしまえば「記号」なのですから、例えば、私が勉強していないアラビア語で「ありがとう」と書かれた文字をいきなり見せられても、アラビア語かなという認識は出来ても、それが「ありがとう」と示している言葉だとは理解できず、ただニョロニョロした記号のような文字としか理解できないように、水が「ありがとう」という文字を見ても、言葉の持つ意味を理解していない限りは、その言葉が何を表しているかどうかなんて判断できないはずです。で、このトンデモ科学を使った道徳教育は、人間の体のほとんどが水分で出来ているので、汚い言葉を投げかけると、体内の水分が弱って、精神や肉体に影響を及ぼすので、美しい言葉遣いを心がけましょう。と締めくくっているのですが、体の水分が言葉に反応しているのではなくて、言われた人が言葉の意味を知っているからこそ心が反応して、傷ついたり落ち込んだりするだけなのに、どうして、こんなことが分からないのでしょうか。他人に汚い言葉を使ってはいけませんとか、美しい言葉を使いましょうと教えることは大切ですが、こんなトンデモ科学を使ってまで、道徳教育をしなきゃいけないなんて情けなさすぎます。