秋葉原通り魔事件 「誰でもよかった」供述 相次ぐ理不尽な凶行「誰でもよかった」。東京・秋葉原の通り魔事件で、7人を殺害した加藤智大容疑者(25)はこう語ったとされる。過去の無差別殺傷事件の容疑者も同様の供述をしている。 今年3月に茨城県土浦市のJR荒川沖駅前で8人が殺傷された事件で、逮捕された男は「人を殺したかった。誰でもよかった」と説明。「複数殺せば死刑になれると思った」とも供述しており、検察側は精神鑑定をしている。 JR岡山駅で同月、岡山県の男性職員がホームから突き落とされ殺された事件では、当時18歳の少年が「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と供述した。 平成11年9月の東京・池袋の通り魔殺傷事件で、死刑が確定した男も「誰でもよいから人を殺して世間を驚かせてやろう」と犯行を決意したとされた。 東京の繁華街での無差別殺傷という点で今回と共通点があるが、男は日ごろから「自分が社会で正当に評価されていない」と不満を持っていた。 一方、加藤容疑者は「世の中がいやになった」と供述しているという。 8日は大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件からちょうど7年。名門小学校を襲った宅間守元死刑囚=執行=は、元妻への恨みを社会全体に転嫁したとされた。 ◇ ≪評論家の大宅映子さんの話≫ ■「命の尊厳、繰り返し教育を」 「誰でもいいから殺したいというだけで、何人もの命を奪う事件が起きたことに、社会全体の犯罪抑止力の低下を感じる。自暴自棄になった末、命を何とも思わないような行為に走る人間には、防犯カメラや巡回パトロールの効果はなく、防ぎようがない。同じような事件が起きないようにするため、子供のころから命の尊厳を繰り返し教え込むなど地道な努力を積み重ね、安全な社会を築くしかない」 ≪元最高検検事の土本武司・白鴎大法科大学院長の話≫ ■「心神耗弱、考えられない」 「車で歩行者をなぎ倒し、さらに刃物で刺すという行為は、これ以上ない極めて危険なものだ。事前にレンタカーを準備し、車の通行が規制された歩行者天国に突っ込んだという時点で、確定的な殺意を持っていたと判断せざるを得ない。逮捕された男は心神耗弱状態にあったとは考えられない。具体的な動機を解明していくことが重要だ」(産経新聞 6月9日17時18分)-----------------------------(引用終了)----------------------------こういう事件がおきると、何を言ってみても虚しいだけですが、何もかもが嫌になって自殺を選ぶ人と、大胆な凶悪犯罪に及んでしまう人との境界って、なんなのでしょうかね。例えば、自分の不甲斐なさを自分の責任だと感じてしまうのと、不満を無関係な社会全体の責任に押し付けようという、いわゆる人格を形成するパーソナリティの中でも、自我やプライドだけが異様に高いとか、そんな違いだけなのでしょうか。しかも、不満は自分に不満を与えた側ではなく、まったくの見ず知らずの他人にぶつける。この理不尽な感覚は、不満を与えた側を後悔させてやろうというところから出るのでしょうか。自暴自棄な犯罪を犯す犯罪者の深層心理の追求は、精神科医や心理学者などの専門家に任せるしかありませんが、仮に追求できたとして、それから先、何かをきっかけにして他者に牙を向ける自暴自棄な犯罪が防げるかといえば、たぶん不可能だろうし・・・。何を言ってみても虚しさと犯罪者への憤りが募るだけです・・・。一人の理不尽な凶行で、亡くなった7名の方の冥福を心よりお祈りします。