「30年かかって」拉致被害者の蓮池薫さん、中央大を卒業北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さん(50)が、拉致された当時通っていた中央大学を卒業することが3日、明らかになった。 25日に同大多摩キャンパスで開かれる卒業式に出席する。蓮池さんは帰国後の2004年9月に同大法学部3年に復学し、新潟県柏崎市の自宅で出張授業などを受け、必要な単位を取得したという。 蓮池さんは「30年かかってようやく卒業することができた。ただ、ほかの多くの拉致被害者にも母校があり、やり残した勉強があったはず。一刻も早く帰ってこれるようできる限りのことをやっていきたい」とコメントしている。(読売新聞 2008年3月3日21時18分)-----------------------------(引用終了)----------------------------一昨日の水曜日、テレビ朝日系『ワイドスクランブル』で、蓮池薫さんのインタビューが放送されました。活字メディアでは、これまでにもインタビューを受けることがありましたが、映像メディアでの単独インタビューは、初めての事だったのではないでしょうか。(もしかすると、わたしが知らないだけで、 これまでにもTVに出演されたこともあるかもしれませんが。)インタビューは、生まれてから拉致される直前までの第1の人生。拉致されてから日本へ帰国するまでの第2の人生。そして、日本へ帰国してから現在に至るまで、そしてこれから先の第3の人生と、3つの分岐点に分け語られていました。やはり、ベールに包まれているだけに、一番、興味深いのが拉致されてからの人生ではないでしょうか。蓮池さんは、拉致されてから一年ほどで、日本へ帰国したくとも自分の力ではどうにもならないと感じ、ならば、自分にできることをしながら、ここで生きていくしかないと覚悟を決めたそうです。闇市で、拉致される前によく聞いていたイーグルスのデスペラードが録音されたカセットテープを見つけて購入し、こっそりと何度も何度も擦り切れるまで聴いていたという話を聞き、先月、蓮池さんが北朝鮮での生活を語った記事のことを思い出しました。「納豆」 蓮池薫さん 涙あふれた 異国の失敗作(一部抜粋)帰省していた1978年7月31日の夕方、新潟・柏崎の海岸で、のちに妻となる祐木子さん(51)とともに北朝鮮に拉致される。清津に1週間ほどいた後は平壌市内の施設を転々とした。幼いころは見向きもしなかった煮物やサトイモのみそ汁、きんぴらゴボウが恋しかった。 祐木子さんと結婚、2児をもうけ、平壌北部で暮らし始めた87年ごろ、新聞や書物で、北朝鮮で納豆がブームだと知った。作り方も書いてあった。「食べてみたい。作ってくれ」。祐木子さんに頼み込んだ。 1キロほどの大豆を、とろ火で7時間も8時間も煮る。熱湯で消毒した鍋に、洗って乾かしたわらと代わる代わる4層ほどに重ね、ふたをして毛布をかける。3日ほどで納豆らしくなった。はしで1粒つまみ上げるが、糸は引かない。食べてみたら、まずかった。翌日、下痢にも見舞われた。失敗作だった。 「でも、涙がこぼれるほどなつかしかった。 悔しさ、さびしさ、悲しみ……全部の感情が凝縮された味だった」(読売新聞 2008年2月12日)-----------------------------(引用終了)----------------------------北朝鮮での覚悟を決めた苦しい生活の中であっても、一日たりとも日本の事を忘れずに生活し、ちょっとした楽しみなどを見つけることに貪欲になり、また、そのちょっとした楽しみを静かに心の中で大いに満喫され、そして、日本ならば、この楽しみも苦労せずにもっと自由に体験できるのにと、悔しさや悲しみなども同時に感じていた複雑なその心情は、私たちの想像以上のものだったと思います。 中央大学法学部に復学された理由については、お母さんが拉致されてからも、ずっと授業料を納め続けてくれていたことを知り、それに答えることが親孝行の一つと感じたからだそうです。まだ解決しない拉致問題については、たくさんの拉致被害者が北朝鮮に残っており、その方々の安全を考慮し、一言一言を考えて慎重に発言をなさっていました。そして、もっとも大切なのは、「この問題を風化させないこと」と仰っていました。また、残された人生、解決に向けて惜しみない協力するとも誓っておられました。最後に、「もしタイムマシンがあればいつの頃に戻りたいですか?」という質問に対しては、「何の心配もなく、とても平和だった子供の頃に戻りたい。」と答え、その時の表情がとても切なく、時代や国家に翻弄された蓮池さんの心情を、もっとも物語っている重い言葉ではないかと感慨深くなりました。 ここ最近は、拉致問題に関しての報道がめっきりと少なくなり、ともすると、忘れてしまいがちになりますが、現在進行形の拉致問題の解決に向けて、絶対に風化させてはいけないことですし、もう一度、世論が2002年の時のように、一つに纏まってくれることを願います。 蓮池さんの第三の人生である翻訳活動も順調に起動に乗っているそうで、拉致被害者としてではなく、翻訳家としての自分も見て欲しいと感じているそうです。蓮池さんが翻訳された本のなかで、わたしが一番好きなのがこの2冊です。蓮池さんが翻訳された新刊です。