荻上チキ 著『ウェブ炎上-ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書)を読みました。有名無名を問わず、ブログで何気なく欠いた文章が非難の的となり、コメントが殺到しコメントスクラムにより炎上してしまったブログの話しや、ネットからリアル(日常)にまで騒動が発展した発生した「祭り」、私も騙されて紹介したことがある「福島瑞穂の朝生の迷言」のようなネットから広まるデマ(都市伝説)といったように多種多様な現象を生み出したネットの中の集団行動(サイバーカスケード)を、ネガティブな面とポジティブな面の両面から捉え、ウェブ社会の集団行動や群集心理とはいかなるものかを分析し、読みやすく丁寧に書かれているウェブ教養書です。 この日記でも、これまでに何度も、これは炎上するのは無理もないといった内容のブログを紹介したり、今年は、光市母子殺害事件での弁護団懲戒請求運動という「祭り」に手を貸してしまったこともありました。自分自身がネット上の「祭り」という名の集団行動や群集心理に組み込まれたり、ときには形成したり、ときには批判の矢面に立ったりと、ウェブで日記を書き綴ってからの6年余り、いろいろと経験しました。最近は、思い込みで書くことの危険についてよく考えるようになりました。まぁ、この日記は、自分に都合のいい事柄を強調し、都合の悪いことは無視するカードスタッキングや、思い込みのまま書いてリアリティを作り上げてしまうということばかりなのですが。 第三章の156頁にも書かれているように、インターネットの世界は、個人の思い込みをリアリティとして作り上げる追い風として機能することが多く、一方に意見が偏ってしまうので、一度形成された世界化やキャラの固定化を覆すのは容易ではありません。最近は、私のような思い込み(誤解や偏見)で批判する人を嗜めるために、批判の対象となる人物がブログを書いたり、(例えば、光市母子殺害事件の弁護団だった今枝弁護士)批判対象となった人のために、誤解や偏見を解く役目の手助けとなれるようノンバイオレント・コミュニケーションのような役目をするブロガーも多く現れております。ただ、聞く耳を持たない人の誤解を覆すためには、かなりの労力を必要としますし、協力した結果、自身のブログが炎上するはめになることもあるので、精神的負担もかなりのものがあるのも理解できます。そういった努力をしている人の声に耳を傾ける(ネットなので正確には耳ではなく“目をむける”になるのでしょうか。)ということも、ネット言論にそろそろ必要な品格なのではないでしょうか。こんなことを言いつつも、のどもと過ぎればなんとやらで、同じ失敗を繰り返してしまうわけですが(笑)