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2007年04月11日(水) 短絡的な発言だと短絡的な批判

石原氏「神戸の震災は首長の判断遅く2千人余計に死亡」


石原氏は8日夜の会見で防災対策に触れ、「神戸の地震の時なんかは、
(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、
2千人余計に亡くなったわけですよね」と発言した。
阪神大震災の被災地で反発が出ている。

 震災時の兵庫県知事、貝原俊民氏(73)は「石原さんの誤解。
たしかに危機管理面で反省はあるが、要請が遅れたから死者が増えたのではない。
犠牲者の8割以上が、発生直後に圧死していた」と反論。
「大災害が起きた場合、公的機関による救済には限界がある。
都民の防災意識を高めることに力を発揮してほしい」と注文した。

 震災後に同県の初代防災監を務めた斎藤富雄副知事(62)は
「全く根拠のない発言で、誠に遺憾。将来の備えのためにも、
過去の災害を適切に分析してほしい」。

 神戸市に次ぐ被害を受けた同県西宮市の震災時の市長、
馬場順三氏(81)は「95年当時に東京で大地震が起こっていたら、
対応できただろうか。震災を実際に体験していないから言える
発言ではないか」と語った。

(朝日新聞 2007年04月09日)


不快感:兵庫・井戸知事、石原知事発言に「誠に失礼」

東京都の石原慎太郎知事が、3選を果たした直後の8日の記者会見で、
阪神大震災(95年)について「(自衛隊に派遣要請する)首長の判断が
遅くて2000人が死んだ」と発言したことに対し、
兵庫県の井戸敏三知事は9日、「いいかげんな議論はしていただきたくない。
誠に失礼だ」と不快感を示した。

 井戸知事は「阪神大震災の問題は、不意打ちだったということ。
犠牲になられた方はほとんどが圧死だった」と指摘。
「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと。関東大震災に対する
備えとして、一番の防災責任者となる知事がそのような認識を
持たれているのだとすると、いささか心配」と話した。

(毎日新聞 2007年4月9日 20時51分)


News23 多事争論 4月9日(月) 「そのまんま現象」

私たちの国の知事さんたちは相当に安定した統治能力の持ち主と見えて、
8日の統一選では現職の人は皆そのまんま再び選ばれました。
宮崎の「そのまんま東現象」では、変化を求める有権者の声というのが
非常に表面に出たのですが、今回はむしろ安定を望んだようであります。

そういうわけで、我が東京都知事も選挙前のそのまんまに戻りまして、
お伝えしたように、阪神大震災についてあのような発言をしております。
あの震災の時に私も現場で取材をしておりまして、
それからしばらくあそこに留まって中継を続けたのですが、
こんなに文明国だった国がですね、6000人以上の死者を出したというのは、
本当に恥ずべき怒りを覚えることだとつくづく思ったことを覚えております。

しかしながらそのうち2000人が、自衛隊の出動要請が遅れたから
失われたのかも知れないという、これがまた石原さんらしい、
例のよっての短絡した考え方ではないかと私は思います。
現場であれだけの死者が出たのはなぜなのかと言えば、
建物の中で非常に脆弱なものがあって圧死された方が多い。
それから、簡単に火事になるような建物が多かった。
そのことが多くの死者を出しました。

実はこれは過去の話ではなくて、東京は必ず震災が来ると言われております。
そういう中で、もし自衛隊の出動が人命を救うんだという風に考えている
知事がいるとすれば、普段のそうではない、建物を燃えないようにする、
壊れないようにするという方の対策には力点が入らなくなるという疑いが出てきます。
どうぞその辺は間違えないで東京都の運営をこれからやって欲しいものだと思います。


-----------------------------(引用終了)----------------------------

石原都知事は自衛隊さえ存在すれば、建物の耐震性や防火対策を

疎かにしても良いとは一言も言っていません。

石原都知事は都の防災対策も考えておられます。
石原知事定例記者会見録 平成19(2007)年1月26日(金)
「東京都の防災基本計画」

 石原都知事は災害時に有効な自衛隊の派遣を

なぜ要請しなかったのかということを言いたかったのでしょうが、

遅くて2千人が余計に死んだという数字は思い込みでしかありません。

ただ、火災が多かった長田地区などでは、

倒壊した家屋の瓦礫の下で生きたまま焼け死んだ住民が多かったのも事実であり、

自衛隊の派遣が1時間でも1分でも早ければ、

崩壊した建物の下にいて生きながらに焼け死に犠牲者になってしまった方を

大人数の力もしくは重機の力で、全員とは言わないまでも、

少数であれ救えた可能性はあったとは思います。

当時の知事であった貝原氏は8割が圧死の即死だったと主張していますが、

潰れた家屋の片隅で助けを待ちながら火災で亡くなっていた人や、

火の気が迫るギリギリまで家族や地域住民を助けようと努力していた人の気持ちを

無視した発言だと震災を体験した私は感じました。


中宮崇の 世相日記「些事争論」さま
■2007/04/10 (火) 昨日の日記 日本国民焼き殺し犯どもが火病で大騒ぎ

テロ朝の「阪神淡路大震災10年目の証言 あの日 官邸応答せず」
(05年1月16日放送)で既に論破されている。
その中で当時兵庫県の監察医であった西村明儒助教授(横浜市大学)は、
「当時専門医が検死した遺体はわずか2400。
4000近い遺体は死因は愚か死亡時間も特定できない」
「圧倒的に多い死因の一つは圧死による即死ではなく(煙での)窒息死だ」
と証言している。死体検案書も混乱の中で、ろくに検死もせずに
80.5%が地震発生時刻である「午前5時46分」または「5時50分」に
「圧死」で死亡と書かれた。
自衛隊などによる救出で助かった可能性はとの質問に対しても、
「あった。炎が来た時はまだ生きていた。一酸化炭素を吸って血液が
化学反応し鮮やかな真紅になった完全炭化死体が多くあったことが、
そのことを証明している」と述べている。


-----------------------------(引用終了)----------------------------

筑紫氏の言う耐震強度を高めたりする防災対策も重要なのは間違いがありませんが、

地震前の対策も地震後のスムーズな救助活動や、

二次被害を最小限に食い止めることも平行して考えるべきではないでしょうか。

 一部メディアは石原批判がしたいがために、貝原元知事を庇っていますが、

阪神大震災後の数ヶ月間の報道では、

非常事態にも関わらず県庁に自力で出勤せず、

昼頃まで迎えの車を待っていたり、自衛隊への出動要請を迷っていたように、

スムーズに行動しなかった貝原元知事の震災日当日の行動を批判していたことでしょう。

ところが、今回は石原都知事の発言と、

当時の貝原元知事の行動を振り返り両方を批判せず、一方の発言のみを叩く。

これは明らかにアンフェアではないでしょうか。

 そして筑紫氏の多事争論の発言でよく言うよと呆れたのは、

>あの震災の時に私も現場で取材をしておりまして、
>それからしばらくあそこに留まって中継を続けたのですが、
>こんなに文明国だった国がですね、6000人以上の死者を出したというのは、
>本当に恥ずべき怒りを覚えることだとつくづく思ったことを覚えております。

この箇所です。

震災当日のヘリからのリポートで、

燃え盛り煙を上げる長田区の町並みを見下ろしながら筑紫氏は何と言っていたか。

「温泉町に来たような感じがします」




後に自著『ニュースキャスター』(集英社新書)の200頁で、

高空、周辺から望見する神戸は
「温泉に湯煙が上がっているかのよう」にしか見えなかった。


そう見えたんだから仕方がないと開き直っていますが、

「温泉街に来たような感じがします」という短絡的な発言からは、

とても怒りを感じられないのですが。


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