工作員の夫に振り回された家族…渡辺さんの親友証言1973年に行方不明になった埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)の渡辺秀子さん(当時32歳)の2人の子供が拉致されたとされる事件で、渡辺さんと親しかった北海道帯広市在住の女性(65)が読売新聞の取材に応じ、北朝鮮工作員だった渡辺さんの夫の動向や一家の様子などを語った。 その証言からは、国内で暗躍する工作員に振り回された家族の悲しい姿が浮かび上がってくる。 女性は、渡辺さんが通っていた帯広市内の高校の同級生。渡辺さんの結婚後の68年ごろに付き合いが復活し、毎年夏に帰省する度に会うようになった。 夫は実家に妻と長女・敬美(きよみ)ちゃん(拉致当時6歳)、長男・剛(つよし)ちゃん(同3歳)を送ると、自分は泊まらず、1人でホテルなどに宿泊し、翌日東京に帰ったため、女性が夫に会ったのは1度だけ。背が高く無口で、高価な眼鏡をかけていたのが印象的だったという。 (読売新聞 4月8日7時6分)拉致指令は「母子一緒に」北の工作組織関係者が供述1973年12月に行方不明になった渡辺秀子さん(当時32歳)の子ども2人が拉致されたとされる事件で、東京都内の貿易商社「ユニバーストレイディング」を拠点にしていた工作員組織が、北朝鮮本国から「母子3人を北朝鮮に送り込め」と指示されていたことがわかった。 同社関係者が警察当局に供述しているという。「春先に日本海側から拉致しようとした」と証言する関係者もいることから、警察当局は、母子3人は74年春ごろまで国内に監禁され、その後、何らかの理由で渡辺さんは殺害され、2児だけが拉致された疑いが強いとみている。 警察当局によると、ユニバーストレイディングには、渡辺さんの夫も含め10人程度の工作員が社員として在籍。リーダー格だった渡辺さんの夫が、73年6月に失跡してから、同社が78年ごろに活動を停止するまで、同社役員の女(59)がリーダーを務めていた。 (読売新聞 4月9日14時35分)2児拉致を「指令の女」、北朝鮮で工作機関幹部に1973年12月に消息を絶った渡辺秀子さん(当時32歳)の子ども2人が拉致されたとされる事件で、この年の6月ごろ、北朝鮮工作員の拠点だった東京都内の貿易会社の役員の女(59)が、「朝鮮労働党の工作機関の幹部に取り立てられた」と周囲に話していたことが9日、分かった。 この直前には、工作員のリーダー格だった渡辺さんの夫が突如、失跡していた。 この会社の設立者でもあった在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第1副議長が失脚した時期とも一致し、警察当局は、総連内の権力闘争が渡辺さんの事件の背景にあるとみている。 警察当局の調べによると、この女が役員に名を連ねていた東京都品川区の「ユニバーストレイディング」(78年ごろ活動停止)は71年6月、朝鮮総連の実力者だった当時の第1副議長が設立した。 (読売新聞 4月10日3時9分)-----------------------------(引用終了)----------------------------「ユニバーストレイディング」のように表向きは会社なのですが、裏では工作活動の拠点となっていた会社というのは、きっと、ここだけではないでしょう。もっとも工作活動が活発だったと言われている1970年代、あといくつかこの手の会社が存在していたことも充分にありえますし、その中で、まだ現在においても活動している会社もあるかもしれません。 この件に関しての報道ですが、TVメディアではまったくと言っていいほど見かけないのはなぜなのでしょうか。お涙頂戴のワイドショーなら取り上げるような話だと思うのですが、ニュースもワイドショーも、どうも及び腰になっているように感じます。朝鮮総連からの広義という名の圧力を恐れているのでしょうか。参考ブログ:『sokの日記』さま 2007年04月07日渡辺秀子さん母子失踪事件に関する時系列メモ※各新聞メディアの報道を元に時系列を細かく纏めてあり参考になります。↓エンピツ投票ボタンです。 押してくださると日記を書く励みになります。エンピツ時事/社会ランキング エンピツ総合投票ランキングMyエンピツ追加