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2006年01月21日(土) 「いただきます」は奥深い言葉。

考:「いただきます」って言ってますか?「給食や外食では不要」ラジオで大論争

 TBSラジオ「永六輔その新世界」
(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、
「いただきます」を巡る話題が沸騰した。
きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、
と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。
番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。
【文・遠藤和行、写真・米田堅持】

 ◇「私の場合」を募集

 手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が
「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。

《ある小学校で母親が申し入れをしました。
「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。
給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

 番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。
あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、
支払いの時は『ごちそうさま』と言います。
立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。

 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。
「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、
隣のおばさんに『何で』と言われた。
『作っている人に感謝している』と答えたら
『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。

 また、申し入れを支持する手紙も数通あった。
学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、
と疑問を投げかける人もいるという。

 永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。
その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、
お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。
後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ
「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。

     ◇

 ライフスタイルの変化で、家族がいても一人で食事をしたり、
外食や市販弁当を食べる機会も増えています。
その時「いただきます」と言っていますか。
あなたやあなたの周囲の「いただきます」は変わりましたか。
その理由は何でしょう。ラジオで紹介された申し入れへの是非でなく、
皆さんの「いただきます考」をお寄せ下さい。後日、紙面で紹介します。

 郵便は〒100−8051(住所不要)毎日新聞生活家庭部「いただきます」係。
メールは表題を「いただきます」とし、
t.seikatsu@mbx.mainichi.co.jpへ。採用分には図書カードを差し上げます。

◇「大切なのは食べ物を大事にできているか」−−永六輔さんに聞く

 番組のリスナーと共に考えた、永さんの「いただきます考」を聞いた。

 −−「給食費を払っている」という理由について、どう感じましたか。

 ◆学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。
それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、
つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。
宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。
でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。
自然の世界と人間のお付き合いの問題です。

 「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。
命でなく、お金に手を合わせちゃう。
会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。

話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、
物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。
売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。
「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。
ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。

−−永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を。

 ◆「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。
でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。
絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、
「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。

 貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。
日本で残して捨てているご飯があれば、
助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。
言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。

 −−言っても、言わなくてもいいと。

 ◆普通に会って「こんにちは」、別れるときに「さようなら」。
何かの時に「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」という、
普通の会話の中に「いただきます」は当然入ってくると思うんです。
特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします。
言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、
思うだけでも、いいことにしましょう。

( 毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊 )

-----------------------(引用終了)---------------------------

>「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、
>と学校に申し入れた母親がいた」


まるでホリエモンみたいな考え方、拝金主義の極みでしょう。


人間である以上、他の動物・植物を摂取しないと生きていけません。

「いただきます」というのは膳に出された動植物の命を頂戴することによって、

私の命になり自分は今日も生きることが出来ますという意味を込めた感謝の気持ちと、

手を合わせて合掌するのは、動植物への供養の気持ちの現れです。

いずれも仏教から来てる訳で、まぁ宗教的ではありますが。

カトリック教徒も食事前に祈りを捧げていますね。

私は、自宅で家族と食事する時であれ、自宅や外出先で一人で食事する時であれ、

誰かと外食をする時であれ、「いただきます」を必ず言います。

ただTPOにあわせて声に出さない場合もあります。

私が言う「いただきます」の意味合いは、

先ほども述べたように、他の命を頂戴して生きているわけですからし、

その食材の元となった肉にしろ魚にしろ野菜に感謝。

その食事の材料を大変な思いをして生産している人達への感謝、

誰かが作ってくれているお陰で食べられる感謝、

私の命を繋ぐために与えてくれた命と、誰かが働いてくれたおかげで、

食事する事が出来る感謝の気持ちを込めての「いただきます」です。

また、外食ならば料理を運んでもらったときはその人に「ありがとう」

食べ終わって、厨房が見える場所にあれば、

そちらに「ごちそうさまでした。」と言って、

厨房が仕切られ他別の場所にある場合は、

お会計の時のレジ係りの人に「ごちそうさまでした。」言ってから外に出ます。

他にも、普通のお店で買い物をしても、商品を渡される時に、

商品を袋に入れてくれたお礼に「ありがとう」と言ってします。

このように感謝するというのは当然のことだと私は思っています。

「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉があります。

意味は、生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになるということです。

現代の日本は衣食は充分にありますが、

それと共に礼節をわきまえない人が増えました。

昔から最低限の常識が無い人はいましたが、

それでも、衣食が足らなかった時代の日本の方が、

礼儀を重んじ節度を保ってきた人が多かったのではないでしょうか。

金払っているから感謝の言葉は言わなくて良いと言っている人を見ると、

「礼節の国・日本」はどこへ言ってしまったのかという思いがします。

声に出して言わなくてもいいけど、人間生きている以上は、

何事に対しても感謝する気持ちだけは忘れないでほしいものです。




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