イラク「人間の盾」に日本人16人、外務省説得も難航>「私が死んでも次の世代に命は生きる。>人間の力を信じたい」(31歳の女性ダンサー)死を覚悟して「人間の盾」になりに行ってるのだから、日本政府としても面倒見る必要ないでしょ。まぁ、実際、このメンバーの中で被害者が出れば、残党が、「日本政府は我々の安全を守る義務を怠った謝罪と賠償を!」と言いながら、デモ行進するのは目に見えてますが。(ところで、この女性ダンサーって、元自衛官ストリッパーのことか?)「人間の楯」に日本人14人 戦争防げとバグダッドへ記事によると、イラク国内の空爆目標に欧米など約20ヶ国の300人余りが「人間の楯」として泊まり込むそうです。イラク政府は志願者に入国ビザや滞在延長などで便宜をはかるほか宿泊や食事も無料にして歓迎しているそうです。外務省の警告にも拘わらず、すでに日本人14人が現地入りしたとされています。志願者が純真で善意溢れる勇気を持った人たちだということは素直に認めましょう。しかし僕はこの行為を手放しで賞賛する気にはどうしてもなれません。どうしてイラク問題にだけここまでコミットできるのか僕にはどうしても理解しがたいのです。戦争はよくない。それを防ぐ楯になる。素晴しいことです。でもこれほどのコミットメントが、同じ日本人の拉致被害者救出のために行なわれたならと思わずにはいられません。北朝鮮にしびれを切らしたアメリカがミサイルを向けたら、自分も人間の盾として参加するだろうか?いや、単にそこにいて盾になるような無駄な時間は過ごしたくありません。万一、北朝鮮が、イラクのようにこのような人間の盾を歓迎して迎え入れるのなら、その機会を使って、北朝鮮の一般市民に問うでしょう。「北朝鮮が拉致を続けてきた事実を知っているか?」と。せっかくの機会、その場でなにもしないでボケッと突っ立っていなければならない、という理由はありませんからね。無論、イラクの盾にも同じことが言えるのではないでしょうか?基本的に戦争は反対ですが、もし盾としてそこに居ることが抑止力になると信じているのなら、実行できるかは分りませんがイラク国内で、この国が本当の悪の枢軸であるかを調べて回っても良かろうと思います。「人間の盾」という行為、確かに銃口を突き付けられてもそこに居るということは大変な勇気ですが、それだけでは問題は解決しません。武力ではなく対話による解決を信じているとしても、黙ってそこにいるだけなら、他人に解決を任せているだけに過ぎないのだから。「人間の盾」に不信感を感じる人は、薄々こう言う点を見ぬいているのでは?まぁ、自分もアメリカ嫌いが基本なので、あまり偉そうなことは言えませんが、悪の枢軸を悪と呼ぶ理由も満足に説明できないのなら攻撃するのは止めてくれって、こと。そこに居るだけで戦争の抑止力になるなら、最近、市民になったニシ タマオ氏が適任であると推薦しますよ。「人間の盾」になりにイラクへ行った皆さんは戦争が終わるまで、どんなことがあってもイラクから逃げないように。一度決めたら最後までやり遂げましょう。そして、生きて帰ってきてください。 ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加■ミニ知識 「人間の盾」1991年1月21日 イラクが多国籍軍捕虜を「人間の盾」とする作戦を発表イラク国営テレビが捕虜となった多国籍軍兵士7人のインタビューを放送して空爆を牽制したのが始まり。標的となる軍事施設などに人間を強制的に移動させ、空爆に対する抑止力にしようという戦術名称として。「人間の盾」という言葉が使われるようになった。