テント生活の女高生ら、ホームレス殺害容疑で逮捕バイタリティを失った人間が増えると、社会不安が起こって、わけのわからない犯罪が増えますね。●ネット仲間3人が七輪で自殺この3人のほかにも、自殺志願者が、この世には大勢い居るらしい。そんな人たちが集まるサイトを興味本位で覗いてみたのですが、この人たち、他に考えることがないのかね〜と思う。好きなこと(趣味)とか、生きることへのバイタリティというかさ。好きなことがあれば、それに費やす時間が必要なので、自殺とかくだらないこと考える時間が、すでに無駄なんです。好きなことを持ってない人は時間だけが有り余っていて、その余っている時間に何をすればいいのか分らないのです。また、好きなことを見つけ出す嗅覚が子供のときに出来ていないので、(これは、親や学校や地域の責任でもあるのだけれど。)大人になっても打ち込めるものが、なかなか見つけられません。何をしたらいいのかが分らず、時間だけがただ余っている人は、ついつい余計なことばかりを考えがちになります。自分は無用な人間ではないのかとか、誰も自分のことを愛してくれないのではないかと、そういうどうでもいい不安と恐怖をふと感じてしまう傾向にあります。他に集中することがないので、自分とその近辺のことだけに集中して、さまざまな問題を自分1人で考えようとします。そして、他人がいないから悩みや不安の自己循環が始まります。ネットが普及してからは、小さな枠の中だけで気の合う仲間同士が集まり、自己循環の傷を舐めあうシステムが誕生しました。悩みや不安を別の世界の他者に話さないから、彼らの中で堂々巡りが始まるのです。その自己循環こそが恐ろしいのです。 身体障害者の僕にも、もちろん不安や恐怖があります。モチベーションのある仕事がなく、その不安と恐怖だけに向かい合っていると、おそらく僕も不安の自己循環(不安神経症)に陥るかもしれません。僕が今のところ不安神経症にならずに済んでいるのは、不安や恐怖の対象を設定してそれを潰しているからではなく、不安や恐怖にずっと向かい合わずに済む仕事や趣味があるからです。 今回、自殺した3人は小さい時からずっと自殺に憧れいて、やっと夢が叶うと、うきうきしながら自殺したのでしょうか。そんなことはあり得ません。彼らは他にどうすればいいのかが分らなかったのでしょう。自殺志願者も中高年の自殺者も、ストーカーも、引きこもりも、校内暴力を繰り返す生徒も、残虐な殺人を犯す人間もきっと特別な原因があるはずだ、という考え方は、昔の高度成長期時代の考え方です。豊かになると、貧乏だった頃に比べて犯罪や社会現象の背景が変わります。だが、問題は背景が変わるということに気づいてない人が多いということ。気づいてない代表はマスメディア、人権派弁護士、サヨ系プロ市民です。近年、家出少女、ストーカーや引きこもり、リストカット中毒者、自殺志願者という人々に共通しているのは、有り余る時間がある、つまりヒマだということです。一つだけ今も共通して言えることは、自殺は残されたものの生きる意欲を奪います。残されたものは、永遠に自殺者の無念を背負って生きていくことになる。自殺はいけないことだというアナウンスがないのはおかしい。最高の死に方を考えるのを生きがいにしているなら、最高の生き方を模索し続けた後に死ぬのが最高の死に方だと教えてやりたい。 ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加