昨日の地村保志さんの会見。「いままでのマスコミの皆さんの報道についてちょっと気になることがありますので、質問に答える前にわたしの考えをお話ししたいと思います。わたしたちに関心を持って、いろいろと報道しておられるわけですが、わたしたちは一番重要な時期に来てますので、報道を客観的にしていただかないと困るんです。わたしたちの言葉一つを「ああだ、こうだ」と憶測をもって報道されると、これからの多くの問題の解決に支障があるんで、注意して報道していただきたいと思います。」この会見を聞いて、おっしゃるとおりと思いました。僕は被害者の行動を逐一報道するメディアの姿勢に違和感を感じていたので、この種の報道はほとんど見ていません。確か、メディアは過剰な報道は慎むと協定を結んだ筈なのですが、あれは一体全体どうなったのでしょうか?他にも、各家庭に大挙して押し寄せるメディア関係者は、周辺(道ばたや庭先や畑)に空き缶や吸い殻などをポイ捨てし、マナーがひどく近所と揉め事が耐えないようです。被害者やその周囲の人達にクレームをつけられてしまったのは最高に恥ずかしいことだと思うのですが。(当のメディアはそう思ってないでしょうが。)随分、前からこうなるのではと危惧していたのですが、やっぱり現実になってしまいましたね。そもそも、マスコミがやっていることは、北朝鮮の赤十字二人の手伝いをしているだけだということにいい加減気付いてはどうなのでしょうか。「今日は○○に行きました」と伝えるだけで、家族水入らずの旅先での映像は見せていただかなくても結構です。もう一つ、永住帰国の話ですが、政府は永住帰国を前提に、5人の日本滞在期間の延長を求める方針のようです。やっと帰ってきた我が子と二度と離れたくはない親。北に残した子供を気遣う親。どちらも子供を思う気持ちに変わりはないでしょう。これから子供を連れて来られるという保証は、残念ながら出来ません。勿論、日本に再帰国が叶うという保証も出来ません。どちらを選ぶか、という究極の選択を被害者は強いられているわけです。つまり、ここでいう選択とは、「子供をとるか親をとるか」の意思であって、決して「永住先は日本か北朝鮮か」のレベルでは無いはずです。不謹慎な言いかたに聞こえるかもしれませんが、「なるようにしかならない」という気もしています。一つだけ言えることは、もし5人が北へ戻るのならば、「よど号事件」の山村新次郎議員のように、国会議員クラスが生命をかけて同時に北へ入り、被害者の永住帰国まで交渉をすべきだと思いますが。北朝鮮外務省の発言「日本が行った残虐行為の規模と残忍さにおいて、我々の拉致問題は比較にもならない」この発言を聞いて、ハナ・アーレントの『全体主義の起源』の跋文にあるヤスパースの言葉を思い出しました。「過去の虜にも未来の虜にもならぬこと。まったく現在的であることが重要である。」日本による植民地支配の忌まわしい歴史。北朝鮮のテポドン開発から生じている日本国民が抱く潜在的危機。それを解決することと「とりこ」になることとは別問題ですがね。 ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加←今日の空はどうなの?