白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2011年04月27日(水) よそはよそ。うちはうち。

今日はやたら草臥れた。日記を見ると1週間前の今日もぐったりしていたようだ。水曜日って週の半ばでエネルギーが切れてくるのだろうか?

気圧の関係なのか眩暈でグルグルしていた。貧血なのか低血圧なのかは分からないけれど、低空飛行の1日。午後、娘と遊んでいたら突っ伏して寝てしまっていた。

今日は「道の歩き方」について娘とガッツリ対峙した。幼稚園の帰り道、歩道と車道が分かれていない危ない箇所があるのだけれど、その場所は私と娘の間では必ず手をつないで歩くことになっている。しかし今日は娘の友達が道の真ん中を走っていったのを見て、娘も一緒に走りだしてしまった。当然、捕獲して道の端っこに連れて行ってから説教タイム。娘は「自分だけ怒られる」ということがどうしても納得出来なかったらしい。渋々謝ってくれたものの、帰宅してからその話題が出た時に「だって……」と反論してきた。

「どうして走ってはいけないかと言うと車が通って危ないから。お母さんはYが車に轢かれて怪我をしたり、死んでしまったりしたら悲しい。でも、どうしてもお友達と同じようにしたくて、お母さんの言うことが聞けないなら、お友達のお母さんの子どもになりなさい」と言う内容のことを話して聞かせた。娘は「お友達のお母さんの子どもになりなさい」と言われたのがショックだったらしくワーワー泣いた。

道の真ん中を走ってしまったお友達は聞き分けのないタイプ。何度となく娘は彼を真似て怒られている。お友達のお母さんは子どもに甘いタイプなので、まずまず子どもを叱らない。娘の中には「私の方がいつもお利口なのに……」という不満があって、その気持ちは痛いほど分かるし、娘だけ怒るのは可愛そうにも思うのだけど、それでも「駄目なものは駄目」なのだ。

昔から親達は「うちはうち。よそはよそ」と言って子どもを叱っていたけれど、あれは名言だなぁ……と改めて思った。

子どもの世界だけでなく、大人になってもそれはあんまり変わらない。周囲と上手くやっていくのは大切だけど、流されてしまっては駄目。自分の考えはちゃんと持っていなくては。大切なところは決してプレてはいけないって事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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2003年04月27日(日) 働くおばさん
2002年04月27日(土) 『北斗の拳』とガングリオン。

白蓮 |MAILHP