昨夜、娘を寝かしつけた後、お茶を飲みながら夫と節分の煎り豆を食べていたら、忘れていた記憶が不意に蘇ってきた。
私が小学校の低学年の頃。実家では節分の日には律儀に巻き寿司とイワシを食べ、豆まきをしていた。父が煎り豆についてくる安っぽい鬼のお面を付けて鬼の役をしてくれるのが嬉しかったのを憶えている。お昼間、折り紙で折った三方の中に、年の数だけ豆を入れてもらって食べたりして、私にとって節分はちょっと特別な感じのする日だった。
そんな節分の日の夜。就寝後、トイレに行きたくなったか、喉が渇いたかで目が覚めて階下に降りたら、居間で父と母が煎り豆をアテにして晩酌をしているところに出くわした。当時はまだ缶ビールがまだ普及していなかったのか、瓶ビールだったように思う。スナック菓子等を食べる習慣の無い両親が煎り豆を食べている姿は私にとって珍しいものだった。そして子供達が眠った後で、大人は秘密の時間を持っているのだなぁ……なんて事を漠然と思ったものだ。
昨日は夫と煎り豆を食べていて、記憶の底に追いやられていたその光景がフラッシュッバックしたのだ。懐かしさを感じると共に、自分自身が当時の両親と同じ立場になっていることが、なんだか不思議に感じられてならなかった。
その時、私達夫婦は煎り豆をつまみながら、娘のことを話していた。「だいぶん大きくなったねぇ」とか「今日は楽しそうだったね」とか。当時の両親も煎り豆をつまみながら子供達のことを話し合ったりしていたのだろうか? 両親が歩いた道を私もまた歩いていることの不思議。やけに感慨深い夜だった。
寝る前、夫にその事を話して「私を親にさせてくれてありがとう」と言った。「こちらこそ、ありがとう」と夫。しみじみと良い夜だった。娘はまだ豆まきを喜ぶ年ではないけれど、いずれ私達家族も節分の日に豆まきをしたりするのだろう。これから先の節分も家族で平和に過ごしたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。