白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2006年08月25日(金) 尊厳死

作家、吉村昭氏は尊厳死だった……てなニュースを読んで「むむむ」と思った。

吉村昭氏は私にとって「生きている男性作家さんの中では、いっとう好き」な人だったので亡くなられた時は軽く凹んだものだが、今回は改めて吃驚させられた。とても彼らしい最後だと思う。

私は尊厳死に対してどちらかと言うと賛成寄りの考えを持っている。もちろん状況にもよるので何とも言えないけれど、過剰な医療を拒否する権利は誰だって持ち合わせているんじゃないかと。亡父の時も彼の意思を尊重して過剰な医療しなかった。亡父に関しては「良かった」と心から思えるのだけれど、こういう問題は個々によって捉え方が違うので正しい答えを導き出すのは不可能のように思う。

吉村昭氏の妻で、作家の津村節子さんは夫の死について「自分の死を自分で決めたことは、彼にとってはよかった。ただ、そんな死に方を見せられた私にとっては、ひどい人だと思います。私は目の前で彼が自決するのを見てしまったのですから」と語られたそうだが、それを聞いて「尊厳死って、家族にとっては酷い仕打ちのも成り得るんだなぁ」とて、あれこれ考えさせられてしまった。

人の生命はその人自身のものだけど、残された人のことを思うと、ちょっと複雑だよなぁ……と。

「自分はどう生きたいか、どう死にたいか」という事を真剣に考えておく必要はあるのかも知れない。もちろん人の生き死になんて、ままならない物だから希望通りになるとは限らない訳だけど。

今日は考えがまとまっていないまま書き散らしてしまったけれど、また何かの機会に書いてみたい問題である。考えたところで答えは出ないだろうけれど、それでも考えることが大事なんじゃないかなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2004年08月25日(水) 1つの区切り。
2002年08月25日(日) オニヤンマを目撃。興奮した朝。

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