白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2005年01月12日(水) 鈴虫寺

今日は現場直行。ちょっとだけ朝がゆっくり。なので日記でも書いてみるかな……と。

もっとも、今日は現場と言ってもパシリ同然の「ブツ運搬」に過ぎないのだが。あまりの寒さに、今から慄いている。遠いんだよ……しかも徒歩の部分もけっこう長いし。たぶん、今くらいの寒さで普通なのだと思う。今までが暖か過ぎたのだ。

昨日、お昼休みの時に「鈴虫寺」ってご利益のあるお寺のことが話題になった。鈴虫寺というのは、お地蔵さまが願いを叶えてくれるとかいうお寺で、女性に大人気なんだそうな。その場にいた人のほとんどが知っていて、知らなかったのは鹿児島育ちで、関西はまだよく知らない女性と私だけだった。「知らない」と告白すると「信じられない! すごく流行ってるのに」と驚かれた。いったい……どこで流行っていたのだろう。まったくアンテナに引っ掛からないなんて、不思議である。

「きっと白蓮さんは、お願いごととかしなくて良い恵まれた状況だから知らないんだよ」とフォローしてくれる人がいたのだが、そうなのかなぁ? 実際、今は神様に縋りたいような問題なんて抱えていないけれど。ふと過去を振り返ってみるだに、自分では、どうしようもないような事態に陥っていたとしても、私は鈴虫寺へは行っていないと思う。

「どうにかしなくちゃ」と、ひたすらバタバタしてるだろう。たとえば……大切な人が不治の病に罹ってしまったとする。だけど私はきっと鈴虫寺には行かない。「良い病院」を探して奔走したり、あるいは「良い治療」を受けさせるための資金調達に励んだり、最悪、手詰まりになったとしたら「最後の時間を少しでも一緒に過ごしたい」と思うだろう。

寺参りをする時間など、どこにもありはしないのだ。

世の中には2通りの人間がいる。「願掛け」が好きな人と「願掛け」なんて思いもつかない人。私は間違いなく後者のタイプだ。ただ「願掛け」ってのは、なんか……こう胸キュンな感じがして、話を聞くと微笑ましく思う。だが、自分がするかと言うと、それは全く別の話。

さてと。そろそろ行かなくちゃ。寒いけど奮起して行ってこよう……てな感じで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2004年01月12日(月) お祝いとか…とか。
2003年01月12日(日) 『K−19』
2002年01月12日(土) 捨てられた「彼」と素敵な「マダム」

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