白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年12月14日(日) 鍋料理の周りに。

昨日、一昨日は、忘年会2連チャンで、鍋料理2連チャンだった。

私は「鍋奉行」という人種があまり好きではないが、まったく鍋のルールを知らない人に較べると、むしろ鍋奉行の方が好ましいかも知れない……と、生まれてはじめて思った。私は、「葱が先でも、白菜が先でもいいぢゃないか」という程度の鍋意識しかもっていないが、ま一昨日は、まだ出汁が煮えていない鍋に「私は豆腐が好きだから」とて豆腐を全部、ぶち込んだ同僚の姿を見て「いくらなんでも、あんまりだ」と思ったのだ。

鍋の順序なんて少しルーズなくらいの方がいいとは思うが「入れるのは煮立ってから」とか「出汁の出る物(肉類・魚介類から入れる」とか「煮えにくい物から入れる」というくらいの事は常識だと思っていたので、たいそう驚いた。しかも、その同僚が十九や二十歳ならともかく、私と同じ年なのだ。そして、もう1つ驚いたのは、自分で鍋を突付けないポジジョンにいる人に対して、彼女は何もとってあげようとしなかったということ。何気に促してみても「ああ。あの人は飲むのが好きだから、飲ませておけばいいのよ」とて、取ってあげようなんて気は、さらさら無いのであった。

私は「女性だから気を使わなきゃ」なんてことは、これっぽっちも思わない。だが「食べること」に無頓着であったり、何も出来ないというのは大人として欠けているように思うのだ。そして私は、そういう人とは女であろーが、男であろーが、あまり仲良くなれないような気がする。食生活で人づきあいを考えるというのも視野が狭いような気がするが、食生活の価値観が違いすぎる人と、深くつきあったり長時間過ごすのは、けっこう苦痛だったりするから。

そりゃそうと。鍋を囲むと、普段は見えない人となりが見えるものだ。自分で鍋を突付けないポジションに座った56歳女性は、私が取り分けてあげるたびに「人にしてもらって食べるって嬉しいわねぇ」とシミジミしていた。彼女はいつも家族のために「してあげる」ばかりの人なのだろう。そして、仕上げの雑炊の用意をさり気無くしていた36歳男性も印象的だった。卵を溶く手つきが堂に入っていて「慣れている」感じ。「ここは女性陣に任せて」なんて野暮なことを言わないのが素敵だと思った。

食事の周りに見えるドラマが、妙に気になる忘年会だった。鍋って好きだが、どうせ食べるなら気の合う友人や家族と食べる鍋がいいよなぁ。などと思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2001年12月14日(金) 「望み」を映す「鏡」について。

白蓮 |MAILHP