白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2003年11月28日(金) 匂いの作用

今朝、会社の最寄駅に着いたらば、珈琲の匂いがした。

近くに何軒か喫茶店があるので、珈琲の匂いがしても不思議ではないのだけれど、いつもは感じないものを感じるというのは、いつもと何が違うのだろう。湿度とか気温とか風向きとか、そういうことだけではないような気がする。今まで、その駅を利用していて「あ。珈琲の匂いがする」と思ったことは1度もなかったし。

私はどちらかというと紅茶党で、出先で振舞われることがない限り珈琲を飲むことはない。濃厚なコース料理を食べた後は、紅茶よりもデミタスカップで出てくる珈琲を選んだりもするけれど、まずもって自ら珈琲を選ぶことは皆無と言ってもいいくらいだ。

なのに今朝はむしょうに珈琲が飲みたい気分になってしまった。缶とか、インスタントとか、スターバックスのようなのではなくて、ちゃんと人間が立ててくれた珈琲を。「その辺の喫茶店で、珈琲飲みながら新聞でも」といきたいところだったが、出勤前なので断念した。ふらふらと珈琲を飲みに行っている場合ではない。

それにしても「匂い」には人を引き寄せる力がよほど強いとみえる。

仕事帰りに駅の構内の立ち食い蕎麦屋の匂いをかいでいて、お腹なんて減ってないのに「ちょっと蕎麦でも食べていきたいなぁ」と思ったりするのも「匂い」にしてやられているのだと思う。現実問題として、家族がいて食事の用意があると分かっていて、立ち食い蕎麦を食べて帰る訳にはいかないのだけれど。

「匂い」ってのは「いま、すすんでいこうとしている現実」から、人を引き離す作用があるような気がする。なんか目の前のことを忘れてしまう作用というか。甘いお菓子の匂いをかいだらお菓子の世界へ。ラーメンの匂いをかいだらラーメンの世界へ……などなど。お香の匂いをかいでも、軽いトリップ感を感じるものなぁ。

自分が歩かねばならない現実世界と、何かのキッカケで飛んでいってしまう感覚だけの世界とを、行ったり来たりしながら、日常が積み重なっていくのだろう。行きっぱなしになってもいけないし、まっとうにしていてばかりでは、やれ切れない。行ったり来たりがいいのかも。行きっぱなしには要注意。

なんだか、今日はやたらと、フワフワした頼りない内容になってしまったけれど、たまにはこういうのもいいかな……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2001年11月28日(水) 雪のひとひら

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