白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年09月17日(水) 包帯。

今日は、ちょっと気になっていることなど。来月から愚弟は社会復帰するのだけれど、その事について少し。

なんだかんだ言っても、2年と言うブランクはデカイ。厳しい言い方だが愚弟の時間は2年前で止まっているが、同世代の若者達は、その2年間ドドッと大きく育っているはず。心身共に大変だろうと思うのだが、それについては正直なところ、姉としては、どうだっていいと思っている。愚弟だって、ちょっとくらい苦労したらいいのだ。そりゃぁ痛い思いや、辛い思いもしただろうが、この2年間は母と姉に守られて、ある意味、極楽だったろう思うので。

ただ、どうしても心配なのは愚弟が、いつまでたっても包帯を巻き続けているということだ。

傷の関係で包帯の必要な時期もあったのだが、今はすでに「傷を隠す道具」でしかない。ずっとそのままでいられるなら、それでもかまわないのだが、これから義指を付けたりするのだし、自分の左手を隠している訳にはいかない。実際、醜く歪んでいる上に、指が3本しかないという左手を他人に見せるのは辛いだろうとは思う。

隠し通せない事は分かりきっているのだから、いい加減に吹っ切ったらどうよ?

……と思うのだけど、愚弟の左手について、愚弟には何も言うまいと決めたので口出しすることはないと思う。愚弟の気持ちなんて私には分かりゃしないのだから。他人の気持ちなんて、そう簡単に分かる訳がないのだ。そして、その壁を乗り越えるのは愚弟自身であって私ではないのだし。

ただ己の身を恥じるような人間にはなって欲しくないと思うだけだ。

己の内面を恥じるのは、かまわないと思う。しかし外回りを恥じる必要はないと思うのだ。私の思う「外回り」とは身体的なことや、経済的なことや、おおよそ魂とは関係のないもの……と言う意味である。

私は、愚弟が本当の意味で事故を吹っ切ってくれることを望んでいるが、もし出来なかったとしても、それはそれ。小狭く生きていくというのもアリかとは思う。愚弟が毎日、執拗に巻き続けている包帯を見ていると、正直なところ、とてもイラつく。10月1日の出社日も愚弟は包帯を巻いていくのだろうか。できれば「あの時は、あんたの包帯見てイライラしたもんだよ」と笑い話が出来るようになりたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年09月17日(火) いい子ぶりっこ

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