今日は6時に起床して高野山へ行ってきた。高野山ってのは弘法大師がはじめた真言宗の総本山。和歌山県の山奥にあるので、私の住んでいる場所からだと、けっこうな距離のドライブなのだが、父方のお寺が真言宗なので、幼い頃から、なんだんだと馴染みのある場所だったりする。
今回の目的は母が死産した子供(生きていたら私の兄にあたる)の三十三年の供養。その昔。「死産した子供など○○家の墓に入れるわけにはいかない」と父の母親から納骨を拒否された父と母は「せめて真言宗の総本山のある場所に入れてやろう」と、遺骨を高野山へ納めたのだそうな。なんでも水子供養は三十三年で切り上げになるとかで、乙女な母の「今年はどうしても、お参りに行きたい」とて、家族揃って出掛けたんである。
そっかぁ……幻の兄は生きてたら三十三歳なのか。もし兄がいたら、もう少し楽させてもらえたかなー。とか思ったりするが、現実問題として、兄がこの世に生まれていたら私も愚弟も存在しなかっただろうから、この考えは妄想に過ぎないんだが。
暑さと混雑を避けるために早起きして出掛けたのは正解だった。日差しもキツクなかったし、車も空いていたので、思いがけず早い時間に高野山へ辿り着いた。私自身は信仰心もないし、宗教行事には熱心ではないのだが、教会にしろ神社仏閣にしろ、ああいう宗教施設のある場所にいくと、それなりに厳粛な気分になるから不思議。
高野山名物の変わったお墓(しろありの墓だの、愛犬の墓だの)を見物したり、持ち上げたら願い事が叶う石とかを試してみたりしつつ参道をブラブラ歩き。本来の目的であるお参りを済ませて、自分ちのお土産に胡麻豆腐、向いの婆さまのお土産に高野槙を買って早々に撤退した。早起きは三文の得と言うけれど、予定より早い時間に帰宅することができて良かった。乙女な母も気がすんだようで何よりである。
思えば今年はやたらと宗教行事に参加しているような気がする。面倒だし興味はないんだけど、乙女な母が、それで納得してくれるなら、それでいいか…って感じ。宗教を否定するつもりはないのだけれど、私自身は信じることもできないし、形式的な行事をこなしたからといって、何がどうなるとも思えないのだ。だからって他所のお宅に伺って仏壇があれば手を合わせたりもするし、日本人の常識的なことはちゃんとしようとは思っているけれど。
ま。ともかく、ひと仕事終えてホッとした。
明日から、また一週間。「あー。仕事、行きたくねー」とか思いつつ、そういう訳にもいかないので頑張っていきましょう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。