白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年08月20日(火) ありきたりのこと。特別なこと。

今日は、1つ訃報を聞いた。
ネットで知り合った方のお父様が他界されたとのこと。
簡なお悔やみメールを書きながら、色々なことを考えてしまった。

思えば……
人が死んだり、生まれてきたり、病気をしたり……ってなことは
誰もが避けては通れないことであり、決してめずらしい出来事ではない。
毎日、どこかで誰かが死んだり、生まれたり、病気になったりしているのだ。
そう思えば、それらの出来事は「ありきたりなこと」だと言える。
だが、それは紙の上の理論にしか過ぎなくて
自分や、自分が係わる人々に、それらの出来事がおこった場合は
「ありきたりなこと」ではなくて「特別なこと」だと思う。

実際、そういう出来事に直面したとき
「って言うか、あたりまえのことだしねー」なんて事が言えるはずもなく
傷ついたり、凹んだり、哀しくなったりするのだ。
遠い国で戦争があって罪も無い子供達が死んでいるってなことを聞いても
「あぁ、可哀想にな」と思う程度の気持ちしかおこらないのに
身近な人が亡くなったら可哀想、云々よりも、哀しい気持ちが湧いてくる。
それは理屈でも、理論でもなく感情の問題だと思う。心の問題というか。

衝撃的に悲しい本を1冊読んで、その世界に浸るよりも
自分と親しい人が凹んでいたりする方が、ずっと悲しいし
ファンを名乗るほど好きな役者や、作家や、歌手が結婚するよりも
見知った人の結婚の方が、よほど祝福できる。

自分の周りで起こる出来事は、すべて「特別なこと」なのだと思う。
それが世間的に見て、ありきたりな出来事であったとしても……だ。

つらつらと、そんなことを考えてしまった。
なにげに理屈っぽいモードが走っていて恥かしいなぁ。
そろそろ退散しよう…ってことで今日の日記は、これにてオシマイ。

<私信>
心からご冥福をお祈りしています。


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