白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2002年07月31日(水) 『海辺の家』〜好きって気持ちは表現するべし〜

『海辺の家』という映画を観てきた。

癌を宣告された建築士の男性が、別れた妻のもとにいる息子を呼び寄せて
今まで住んでいたオンボロな家を壊して息子と共に家を建てる。
息子は薬物依存症で、心が荒れていたりして
主人公の男性自身も、愛に飢えていたりなんかして
「家」を建てることにより、それぞれが生まれ変わっていく
……ってな、お涙頂戴っぽい筋書きで
もう恥かしくなってしまうほど、大泣きしてしまった。

私は仕事で「家を建てる」という行事の過程に携わっているせいか
「家」にたいする思い入れは、ちょっぴり強かったりする。
毎日、毎日、見知らぬ人の家の図面と向き合って
「あぁ、いい家だ」とか「ちょっと、どうよ?」とか思っているのだが
本当のことを言うと、家なんて、人間を入れる器に過ぎないと思っている。
人間というよりも家族を入れる器といったところだろうか。

主人公の男性は、とっくに死んでしまった父を憎み、父を愛し
父に虐げられていた母を想い、母を愛し
別れてしまった妻と息子を想いながら、それでも1人で生きていたのだが
家を作っていく過程の中で、大きく変化していった。
彼が変化したのは「死」を目前にしたのがキッカケだったが
たぶん、自分の心を開いて、愛に触れたから変われたのだと思う。

作品の中では、クドイほどハグ(抱き合う)する映像が映し出される
親子であったり、夫婦であったり、恋人同士であったり……
「あなたが好きです」「あなたを大切に思っています」という気持ちは
言葉にしたり、態度で表さなければ分からない。
もちろん、言わなくても分かる…ということもあるだろうけれど
他者に気持ちを伝える努力ってのは必要だなぁ〜〜と思った。

現実の生活は映画のように上手くいかないことの方が多い訳で
『浜辺の家』は、ちょっと出来すぎたストーリーだったりするのだが
「変わることが出来る」という希望とか、可能性とかが気持ちよくて
変われるってのは、やっぱり「愛ゆえに」だよね…ってあたりが
どうにも「ウッ」と胸に迫ってきて、大泣きしちゃったのである。
いい映画にあたったなぁ……と思った。

好きなものは好きだと、声を大にして言わなきゃね。
……ってことで、我が家の今夜の夕食は普段より
ちょっと豪華版だったことは言うまでもない。

しみじみ良くて、たっぷり泣いた。
いいものを吸収したので、明日からまた頑張れるに違いない。
そうさ。頑張れるさ。頑張るさ。暑くてもだ。
……ってなことで、今日の日記は、これにてオシマイ。


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