白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年01月17日(木) 同性婚。あるいは婚姻の自由。

1月16日付の朝日新聞の夕刊に
ノルウェーで、社会的にステイタスのある男性(おやぢ)が
同性婚に踏み切った……というニュースが掲載されていた。

遠い北の国で、逢ったこともない「おやじ」が結婚しようが、どうしようが
私には、まったく関係のない話ではあるのだけれど
「おめでとう。末永く、お幸せに〜〜」
なんちゃって、私は心から拍手を送ってしまった。
ニュースじたいは大したことのない内容だと思うのだが
日本では、まだ同性婚が認められていないだけに
彼らの結婚は、非常に嬉しく感じてしまったのである。

「同性婚」というと、なんだか妙な印象を持たれる方が多いかも知れないが
世界的に見ると同性婚を認めている国は、以外と多かったりする。
たしかアメリカでも州によっては同性婚を認めているはずだ。

「宗教的」あるいは「倫理的」観点から同性婚は認めていなくても
「パートナー登録」という独自の制度を設けて
同性愛者のカップルにたいして「婚姻」によって生じる権利と
まったく同じ権利を認める…という形をとっている国もあったりする。

同性愛者という、一部の人達のために、わざわざ法律を作るなんて……

などと思われる人もいるかも知れないのだけれど
憲法で「基本的人権の尊重」を定めている日本の国で
同性愛者というだけで、異性愛者が容易く手に入れる権利を
その手にできないのは、いかがなものだろうか?

……と私は、常日頃、考えている。

ところが、どっこい。

現在の日本は「同性婚」どころか「夫婦別姓」さえままらなないのが現実だ。
日本はタテマエ上では「基本的人権」を尊重しているはずなのだが
大切な部分で「基本的人権」を尊重していないように思う。

生きるということは、すなわち生活するということである。
たかが、婚姻。されど婚姻。
世の中「愛」だけで渡っていけるほど生温くは出来ていないのだ。
婚姻という繋がりがなければ「あたりまえ」とされる権利だって主張できないのだ。
同性婚が認められていない日本では
「婚姻」によって得られる権利と近いものを得るために
「養子縁組」という形でもって
パートナーと繋がりを持つ同性愛者カップルも多いようだが
私は、やはり「婚姻」という形の方が自然で、かつ望ましいと思う。

……って。

こんなネットの片隅で吠えているくらいなら
いっそ政治家にでもなって、同性婚を実現すべく働きかけるべし。
……というのが理想なのだが
残念ながら、私の置かれた「今」の現状では政治家を志すのはムツカシイ。
せめて「同性婚」なんて制度があるって事も知らなかった…という人に
ちょいとでも、耳学問でも「そんなこともあるんだ」ってことを知って欲しくて
今日は、真面目モードで書いてみたのである。

知らないことは罪ではないが
知らないがゆにえに狭くなる世界もあるのだ。

できれば「若い人」に、この種の問題を知って欲しいと思う。
そして、いつの日か、日本も「同性婚」が認められることを願う。
人が人を愛し、家族を持ちたいという思いは自然な気持ちなのだから。
つまんない理由で「当たり前の権利」が剥奪される世の中ってのは
どう考えても、いただけない。

「同性婚」にしても「夫婦別姓」にしても
もっと真剣に取り組み、語り合うべきテーマではないだろうか。
「家族」についての議論が交わされる今だからこそ
あえて、突っ込んでみたいなぁ……と私は思うのである。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】

白蓮 |MAILHP