年齢を重ねるごとに視野や許容量が狭くなる
……なんて一般的に言われるけれど
そんなこたぁ無いと私は思う。
少なくとも私の場合は
子供の頃の方が今よりずっと狭量だった。
好きな花はなんですか?
そう問われたら
木に咲く花なら「白い木蓮」 地に咲く花なら「都忘れ」
今は、そう思っているけれど子供の頃は違っていた。
世の中がどうあろうと私は薔薇以外の花は花と認めない。
子供の頃の私は頑ななまでに、そう思っていたのだ。
百合は「ラッパみたいな形で滑稽だから嫌い」だったし
向日葵は「大きいばかりで品がないから嫌い」だったし
カーネーションは「ひらひらして人に媚びているみたいで嫌い」だったし
チューリップは「俗っぽい形が馬鹿っぽくて嫌い」だった。
ただ、どこか狡猾なところのある子供だったので
世間の子供はチューリップが好きみたいだし
そんな風な事を言ったら嫌な子供だと思われるから
「薔薇以外の花は花と認めない」って考えは黙っておこう。
……と思っていて、実際にそうしていた。
桜の花を見て嬉しそうな顔をしていたし
お姫様のイラストの横にはチューリップだって配置していたし
タンポポの花って強くて可愛いね…と心にもない事を言ったりしていた。
思い起こせば、そうとう可愛くない子供だったと思う。
そんな私が「あぁ。花って、それぞれに綺麗なんだなぁ」
……と感じられるようになったのは
小学校6年生の時、心ならずも華道教室へ放り込まれてからだった。
↑華道は十数年続けたが、貧乏になってから辞めた。
花と向き合って、花を切り、そして活ける……
そんな作業をするようになってから、初めて花の美しさを知った。
子供の頃の方が「物の考え方」の柔軟性に欠けていたと思う。
現在、私の座右の銘……らしき物を、つらつら上げてみると
「お寿司もいいけど、カレーもね」
「それは、それ。これは、これ」
「そういうこともアリだってば」
……などとと、イージーな物が多い。
子供の頃の私を思えば、信じられない変貌だと思う。
年齢を重ねることで、自ら不自由な檻に入ってしまう人もいれば
年齢を重ねることで、自由な世界な飛び込んでいく人もいる。
色々な人の日記を読んでいると特に思うのだなぁ。
若い人だからって、柔軟な心を持っているとは限らないし
「おばぁ」「おじぃ」でも驚くほど柔軟な心を持つ人がいる。
突き詰めて考えていけば「個人」の問題なのだろう。
年齢と心の柔軟性は決して比例しない。
……世の中がどうあろうと私は頑なにそう思っている(笑)
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明日はたぶん、ぶち切れた日記(?)を書くと思います。
本当は「今」書きたかったのだけれど
脳味噌が煮えているので、違う話でお茶を濁してみました。
……だから今日は、いつにも増して理屈っぽいのです(苦笑)