白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年12月08日(土) 花も人も色々なので。

年齢を重ねるごとに視野や許容量が狭くなる
……なんて一般的に言われるけれど
そんなこたぁ無いと私は思う。
少なくとも私の場合は
子供の頃の方が今よりずっと狭量だった。

好きな花はなんですか?
そう問われたら
木に咲く花なら「白い木蓮」 地に咲く花なら「都忘れ」
今は、そう思っているけれど子供の頃は違っていた。

世の中がどうあろうと私は薔薇以外の花は花と認めない。
子供の頃の私は頑ななまでに、そう思っていたのだ。

百合は「ラッパみたいな形で滑稽だから嫌い」だったし
向日葵は「大きいばかりで品がないから嫌い」だったし
カーネーションは「ひらひらして人に媚びているみたいで嫌い」だったし
チューリップは「俗っぽい形が馬鹿っぽくて嫌い」だった。

ただ、どこか狡猾なところのある子供だったので
世間の子供はチューリップが好きみたいだし
そんな風な事を言ったら嫌な子供だと思われるから
「薔薇以外の花は花と認めない」って考えは黙っておこう。
……と思っていて、実際にそうしていた。

桜の花を見て嬉しそうな顔をしていたし
お姫様のイラストの横にはチューリップだって配置していたし
タンポポの花って強くて可愛いね…と心にもない事を言ったりしていた。

思い起こせば、そうとう可愛くない子供だったと思う。

そんな私が「あぁ。花って、それぞれに綺麗なんだなぁ」
……と感じられるようになったのは
小学校6年生の時、心ならずも華道教室へ放り込まれてからだった。
↑華道は十数年続けたが、貧乏になってから辞めた。
花と向き合って、花を切り、そして活ける……
そんな作業をするようになってから、初めて花の美しさを知った。

子供の頃の方が「物の考え方」の柔軟性に欠けていたと思う。
現在、私の座右の銘……らしき物を、つらつら上げてみると

「お寿司もいいけど、カレーもね」
「それは、それ。これは、これ」
「そういうこともアリだってば」

……などとと、イージーな物が多い。
子供の頃の私を思えば、信じられない変貌だと思う。

年齢を重ねることで、自ら不自由な檻に入ってしまう人もいれば
年齢を重ねることで、自由な世界な飛び込んでいく人もいる。

色々な人の日記を読んでいると特に思うのだなぁ。
若い人だからって、柔軟な心を持っているとは限らないし
「おばぁ」「おじぃ」でも驚くほど柔軟な心を持つ人がいる。
突き詰めて考えていけば「個人」の問題なのだろう。

年齢と心の柔軟性は決して比例しない。
……世の中がどうあろうと私は頑なにそう思っている(笑)

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明日はたぶん、ぶち切れた日記(?)を書くと思います。
本当は「今」書きたかったのだけれど
脳味噌が煮えているので、違う話でお茶を濁してみました。
……だから今日は、いつにも増して理屈っぽいのです(苦笑)


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