ふうっ。
「その日にあった出来事を書く」っていうのが日記の定義だとすれば
私の日記は、日記とは言いませぬ。
卑下しているのではなくて「日付の前日」に書いてるから。
もっとも、公開日記の場合は
書きたいことが「日記」ではなくて「主張」だったりする事もあるので
かならずしも「日」にこだわる必要はないのかも知れませんが。
それにしても・・・・・・
色々な日記を探訪していて思うのだけれど
どうして日記を書く人って不器用な人が多いのでしょうね。
↑もちろん手先の・・・ではなく生き方の。
私自身が器用な性質ではないので、不器用な人の日記って
心にビンビン響いてまいります。
なんで、こぅ・・・どうして、もっと上手いこと生きられないのかなぁ。
不器用なことは罪ではないし
不器用だからって人に迷惑はかけないのにねぇ。
だけど不器用だと疲れるのよねぇ。
生きにくいのよねぇ。
不器用だってことを素直に書いている人もいれば
器用を装った不器用な人もいる。
不器用なのを歯がゆく思っていたり
不器用なのを矯正したいと思っていたり
不器用と向き合いたいと思っていたりするのかなぁ
・・・って、これは私の勝手な想像ですが。
不器用な人の日記は愛しいです。
文章が上手でも、そうでなくても愛しいです。
私と、私の知る不器用な人々の物事が上手く運びますように
そう思いながら誰かの日記を読んでいます。
そう思いながら日々書き連ねています。
だから何?
そう突っ込まれたら返事ができないのだけれど。
まぁ、これも不器用ゆえ・・・ってことでご容赦くださいまし。