白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年10月18日(木) 見合いに挑んだ29歳の秋。

「見合い」をした。

私は「来る者拒まず」をモットーとしているので
人間に限らず「出会い」や「きっかけ」には
必ず首を突っ込むことにしている。
29歳の現在まで見合いをした数なんて
もう覚えていないくらいだし、相手の顔もほとんど忘れている。

私の名誉にかけて言わしていただくと
見合い写真をバラまいたことは1度もない。
今回の見合い相手なんて、笑っちゃうようなキッカケだった。

弟が入院していた時、隣りのベッドで療養していた「おやぢ」の息子。

入院も長期なると、同室の人とは家族ぐるみで親しくなったりする。
「おやぢ」は交通事故で足。弟は勤務中の事故で手。
互いに病む場所は違っていたし、年齢も親子ほど離れていたけれど
何か友情のようなものがあったようだし
私や母も「おやぢ」や「おやぢの妻」には親しみを感じていた。

で。

どうしたものだか、双方の親同士で話が盛りあがり
私の知らない間に「見合いさせてはどうでしょう」なんて事になっていた。
正直なところ、今はまったくフリーなのだけれど
↑これは相当、悲惨な現実なのだが。
愛よりも時間。お金よりも時間。恋人よりも休養時間。
・・・・・・が欲しい私としては
まったくもって、降って湧いた厄災のようなものだった。

そして「見合い」

見合いする当人同士だけ、顔も知らない
・・・という奇妙な状況の中で「見合い」と言うより、むしろ
「退院祝い夕食会の集い」
とでも銘打った方が相応しいような集いが催された。

で。

実際、和やか&和気あいあいとした楽しい夕食会になった。
なにしろ『九死に一生スペシャル』ってTV番組に出演できそうな体験して
なにくれとなく苦楽をわかちあった2家族なのだ。
入院していた時の苦労話だの、退院の喜び等の話に花が咲いた。
料理も美味しかったし、話も弾んで楽しかった。

が。

「見合い」と呼ぶにのはどうだろう?
・・・という疑問が湧かないでもない集いだった。
双方の家族が楽しい時間を過ごしたのは有意義だったと思うけれど
ちょっと腑に落ちない複雑な心境だ。
「見合い」を否定する訳ではないのだけれど
「ところで、どんな感触?」
などと感想を聞かれても答えようがないのだ。
一目惚れでもしないがきり、わずかな時間しか過ごしていない相手に
好意を抱けるくらいなら、すでに恋人の1人や2人いるぜ!
・・・ってなもんだ。

見合いに挑んだ29歳の秋・・・
ふけゆく秋の夜に溜め息ひとつ。
ふうっ。


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