金色の夢を、ずっと見てる

2016年06月24日(金) バタバタの3ヶ月

早くも今年の半分が終わろうとしている6月も後半。この3ヶ月はなかなかのトラブル続きでした。


まずね、4月の7日になんとか引っ越したんですよ。

昨年8月末の台風で屋根が飛ぶというまさかのアクシデントに見舞われて以降私の実家に居候してた我が家ですが、なんとか元の校区内に手頃な借家を見つけたのが2月。まぁ若干の手直しは必要で、それも踏まえて3月下旬の連休に引っ越そうね!(=それまでに手直し終わらせてね)と旦那を急かしてたんですが、またこれがなかなか進まなくて。

床や壁の張り替え、一部の部屋の塗装、入居前にはプロの清掃業者さんにお願いして…と予定してたんだけど、それ全部旦那の知り合いの大工さんとか同業者を通じてつてのある人とかにお願いするわけです。そうなると、大工さんとか後回しにされちゃうのね。だって『正式な仕事』じゃなくて『知り合いに頼まれた仕事』だから。本来受けてる仕事の合間に時間をつくってやってくれるような状況で、私が
「ねぇ本当に(予定してる連休に)間に合うの?」
と急かしても
「いや〜あいつも忙しい中でやってくれてるから、あんまりしつこく言えないんだよ」
と濁され、結果、間に合わなかったっていうね…orz


引っ越した直後に家の中の片付けをがっつりやるつもりで、連休の後に続けて休めるよう他のパートさんにお願いしてシフトの調整までしてたんですよ。なのに結局その連休には引っ越せなくて。業を煮やして、
「(娘の)新学期が始まる前には引っ越すよ!」
と宣言。まだ手直しが済んでない部分もあったんですが、半ば無理矢理、始業式の前日に引っ越しを決行。

押し入れの床がベコベコのままだから物も入れられないし、脱衣所の壁には大穴開いてるし(あ、もちろん外まで貫通するような穴じゃないですよ。内側の壁材がはがされ、中の断熱材や木材が見えてる状態)、カーテンレールとか買っただけでまだついてない所があったり。普通に考えたらまだ手直し終わってないよねってレベルなんですが、とにかくもう1日も早く娘が自力で学校に通える所に移りたかった(苦笑)

おかげで新学期から娘は近くの友達と同じ登校班で学校に通えるようになり、帰りも自分で歩いて帰ってきて自分で鍵を開けて家に入って、私が仕事終わって帰るまでちゃんと留守番できるようになりました。朝から送らなくていいし、夕方も学童保育に迎えに行ったり、自分は休みでも学校に迎えに行ってやらなきゃいけないから…とか気にする必要もなくなって、本っっっっ当にラクになりました。




………と、喜んだのもつかの間、引っ越した1週間後に熊本地震ですよ…。

4月14日夜の前震の時、我が家は家族3人そろってリビングにいました。娘にそろそろ寝なさいよなんて言ってたタイミングで震度7。


揺れが収まって一段落したら、地元消防団に所属する旦那は地域の安全確認のために出動。夜中に帰ってくるまでずっとニュースを見てました。引っ越して自分の部屋が出来てからは1人で寝るようになってた娘も、さすがにこの日は怯えて自室では寝られず、3人でリビングのソファで夜を明かしました。(家の中でリビングだけが上に2階が乗ってない構造なので、万が一余震で2階が落ちてきた場合に備えて)

16日未明の本震の時は、1階で3人一緒に寝てました。普段は夜中に震度3程度の地震でも起きない私ですが(それもどうなんだ)この時はさすがに飛び起きました。

ただ、これは後からわかった事なんですが、どうやら私達が新しく引っ越した家の辺りは山沿いで地盤が固いところだったようで、うちはそれほど揺れなかったみたいなんです。確かにすごく揺れたとは思ったんですが、直後のニュースを見て
「え?震度6?(※最初は6と発表されました)そんなに揺れた?4か5ぐらいだと思ったけど」
なんて言ってて。


幸い…と言っていいのかどうかわかりませんが、同じ熊本市と言ってもうちの辺りは震源地から離れてました。実家や妹の家では食器棚から食器や瓦が落ちたりもしてたし、2〜3日は余震を恐れて車中泊もしてましたが、数日後には家で過ごせるようになって。うちもしばらく断水はしたけど、ガスと電気は問題なく使えてたのでずっと自宅で過ごせてました。不便ではあったけど、もっと被害がひどかった地域で避難所生活を送る人の事を考えると文句は言えないな〜、と。



結局GW明けまで小学校は休校になり、その後もちょこちょこと余震は続いてますが、とりあえずうちの生活はもう落ち着きました。でも震源地に近かった方の伯母の家は半壊だし、そのそばにある母の実家はおそらく取り壊しになるそうです。他にも避難所暮らしや引っ越しを余儀なくされた友人知人も複数います。

自分の住む土地が『被災地』と呼ばれるようになるなんて夢にも思いませんでした。でもその一方で、いろんな事を考えた2ヶ月でもあります。遠方の友人が
「物流が再開したら何か送るよ!何が必要?」
といち早く連絡をくれて本当にミネラルウォーターや無洗米を送ってくれたり、前震の翌日にはウツのファンクラブから安否確認の電話が来て思わずホッとして泣いてしまったり。


普通に暮らせるってありがたい事なんだなぁと思います。あとは、脱衣所の壁を早くなんとかしてほしいかな(苦笑)←地震の影響で大工さんがさらに忙しくなってしまって、まだやってもらえてない。


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咲良 [MAIL]

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