+++恋の味+++



 不幸ぶるな

フランダースの犬のアメリカ版は、ネロは死ななかった。

でも、日本版ではちゃんと死んじゃった。



例えば、日本で「実はネロは生きていた!」
って結末だと、人気は出ない。

日本人は、他人の不幸が好きなんだそうです。





不幸な物語には、人が群れます。

それで「がんばれ」って言ってみたり、
「わたしのほうがまだいいわ」って言ったり、
「そんな不幸まだまだ甘いわね」って言ったり。


子猫がボールで遊ぶみたいに、
誰かの“不幸”をあっちに転がしたり、
こっちに転がしたり、
かざってみたり、なだめてみたり。

色々してみて、気が済んだら、おいてけぼり。



“不幸”なんて、いいことないんだよー。

そう言ってみても、
そうわかっていても、
“不幸”に人が群れるのは、
安心したいからじゃないかな?


わたしは、シアワセなのよ。

もっと、フコウな人がいるわ。



あるいは、

わたしは、イチバンフコウだわ。



そう、思っていたいんじゃないかな?
誰かと比べて、自分が幸せなんだと思ったり、

誰かと比べて、不幸なんだと思ったり。


誰かと比べて自分が不幸だったら、
“不幸”に甘えられるもの。

「ワタシはフコウなんだから、
 ツライって言ってもイイ」
「ワタシはカワイソウなんだから、
 甘えてもイイ」


だれもがそう思うんじゃないのだろうけど、
わたしが、じぶんを『フコウ』だと思うとき、
そういう気持ちが、どこかにある。

その気持ちが、キライ。

不幸ぶる、自分がキライ。



不幸ぶるな。

自分で選んだことを、
信じていけ。




これは、ぜんぶ、自分が選んだことでしょう?
自分で、信じて進んできたんでしょう?



もし、誰かに殴られても、
突然、切りつけられても、

それを不幸だと思わずに、
経験だと思いたい。
それが、自分の力になると信じたい。

そう、思っていたい。

不幸ぶって慰められるより、
先に進むことの方が大切。
今を、だいじにしていくことが大切。

だから、不幸ぶることはしたくない。



あぁ、だけど、
ついつい、そう思ってしまう気持ちも、
たしかに、ある。

2002年02月17日(日)
初日 最新 目次 MAIL