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■ おじいちゃん
おじいちゃんが入院している。
母方のおじいちゃんで、一緒に住んだことはない。 一緒に遊んだ思い出もない。
おばあちゃんの家に遊びに行ったとき、 いつも、だまって座っていたおじいちゃん。 おじいちゃん子でもなくて、 私の「おじいちゃん」であること意外に、 特別な思い出も、思い入れもない。
そんなおじいちゃんが、 「お母さんのお父さん」なんだと思ったのも、 実は、ここ最近のこと。 「私のおじいちゃん」なんだと、 理解したのも、最近のこと。
で、おじいちゃんは入院しているのですが、 そのお見舞いにいったときのこと。
『昨日、美子が迎えに来たよ』
そう言った。 美子はおばあちゃんの名前。
おばあちゃんは、数年前に他界している。 「初恋の人に会った」って、 夢の話を嬉しそうにしてくれたおばあちゃんだ。
『迎えに来たんだけど、 “まだ一緒に行けないから、帰ってくれ” って、お願いした』
そう言ってた。
よく聞く話だ。 死んだおばあちゃんが迎えにきたって。 けど私は、初めてその言葉の意味を考えた。 おじいちゃんが『美子』って、 おばあちゃんの名前を呼んだのにもびっくりした。
今までは「母ちゃん」か「ばあちゃん」、 名前じゃなく、呼び名でしか読んだのを 聞いたことがなかったから。 名前で呼ぶのを聞いて、初めて 「おばあちゃん」は、おじいちゃんの 好きな人だったんだなぁ。と思った。
当然のことなんだけどね。 一緒に暮らしたことないから、 全然そのことがわからなかったのだ。
おじいちゃんには、 おばあちゃんがすごく大切な人だった。 きっと、すごく愛してた。
だから『迎えにきた』んだよね。
私が生まれたときからおじいちゃんで、 おばあちゃんも既におばあちゃんで、 そういう呼び名でしか呼ばなかったから、 2人がかつて恋人だったことさえ、 全然理解してなかった。
そのことに気づいた自分にもびっくりした。
生きている限り、 どんなに年をとっても、 ひょっとしたら、年数を重ねるほどに、 純粋になってくのかもしれないなぁ。
おばあちゃんが初恋の人を想ったみたいに、 おじいちゃんがおばあちゃんを想ったみたいに。
大切な気持ちはずっと残っていくんだね。 おばあちゃんになっても、おじいちゃんになっても、 ずっと、好きな人はいるのだ。
(もちろん、おばあちゃんもおじいちゃんを大切にしてた。 けど、おじいちゃんは身近にいたからね、 だからきっと、初恋の人を想ったんだろうな…)
『今』なんて、通過点にしか過ぎない。 重く、苦しいことばかり考えることないのかな。 今泣いたって、きっといつかは幸せになれる。 おばあちゃんになる頃には、 彼か、別の誰かか、 静かに誰かを想っているんだろう。
静かに誰かを想っていられればいいな。
2001年12月03日(月)
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